の共同購入の便宜を計らっていた。一九三〇年頃には便利な食堂も出来ていた。ノビコフ・プリヴォーイが「日本海海戦」を書くことが出来たのは、作家の住宅問題を緩和するために郊外に「創作の家」があったからである。
今日、こういう作家生活全般のために考えられている設備はどんなに発展して来ているであろうか。文学サークルなどの活動はどんなになって来ているであろうか。座談会が、こういう具体的なところで、もっと詳細に語られなかったのは本当に惜しかった。
一般の読者にとっても作家にとっても知りたいのは、金をとる人間の金のつかいかたより、金を大してとれないものが、猶どんな新しい社会的施設によって文化活動者としての発育の可能性、即ち才能の具体化の可能性を守られているかということである。
先頃帝国芸術院が出来、顔ぶれがきまった時、その一員となった或る文学者の近親が、勅任官待遇で野たれ死にしたら面白いことだね、という意味をいったそうである。そういう一言はピンと誰の胸にも来る。そういう現実の中では読者の興味も極めて具体的な面をもっているのである。
「作家」という名詞の内容
やはり『文芸』の
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