ある。夫人の現在の悲劇は恐らく玄人仲間でそれをありのまま彼女に告げるものがないであろう彼女の地位にある。
あの頃と今日
『文芸』の八月号に除村吉太郎氏を中心に現在のソヴェト同盟の文学と作家生活とを語る座談会記事がある。いろいろの点から興味ふかく読んだひとが尠くなかったろうと思う。社会生活の質が変って来ていることから読者大衆と作家との関係が、従前のロシアのように、また現に他の諸国の事情がそうであるように、文化的水準で隔離されたものでなくなって来て、狭義での批評家の批評と作家とのいきさつが今日では変化していることなどが話され、日本でも文学の大衆化がいわれている折から、なかなか示唆するところを含んでいる。日本では文学のわかる批評家が問題にしないような通俗小説が読者の低められている文化力の上で稼いでいるのと違って、例えば「鋼鉄は如何に鍛えられたか」が、所謂《いわゆる》批評家の注意をひかぬ以前から、すでに大衆的な支持を得ていたというような事実が、文学作品の批評の規準の問題にも触れて多くを暗示するのである。
我々の周囲では、昨今、批評に規準または指導性がありやなしやということ
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