理由もあったことが私にも分るのであるがその当時は合点が行かなかった。
 読者である大衆に対して、そういう態度をつづけることは無責任であるという風に私は考え、いわば大義名分をあきらかにせずにはいられないような情熱に動かされてその批評、感想を一緒にしたような文章を書いたのであった。
 その文章にふくまれた理論的な誤謬も、現在では過去のプロレタリア文学運動史の一頁としておおやけに批判ずみのものなのであるが、私は、もっとも素朴な形で現れた誤謬は別として、その頃の周囲の雰囲気と自分の心持との間に起った緊張した相互作用について、今日もなお生活的な色彩のあざやかな印象を蔵しているのである。
 歴史はいたずらに反覆するものでないから、今再び若い批評家の間に、唯物弁証法をたてまえとしようとして図式主義におちいった批評の要求が現れたとしたら、それには又、私が経験した時代と異った社会的要因がなければなるまい。時間にすれば、わずかに二年足らずの間であるが、今私たちの前には社会主義リアリズムの実践の課題が提起され、社会の情勢も二十一二ヵ月以前のままではないのである。かつてのように批評沈黙時代ではなく、今はむしろ
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング