は達[#「達」に「(ママ)」の注記]手にこんなことをしゃべって笑い興じて居たけれ共二人とも別に何とも云いかえしてもくれず只柳のようにうけながして居るので張合がぬけて二人のわきにぴったりとすわりながら同じように美くしい形容をもちながらまるであべこべの心地をもって居る自分達二人の身の上を思って居た。
 そこへそとからやさしい声で、
「ごめん下さいませ」
と云って入って来たのは声に似げない姿をした常盤の君で有る。
 なさけないほど肉つきの好いかおに泥水のようなほほ笑みをいっぱいにたたえて片ひざをつきながら、
「只今はどうも、わざわざ恐れ入りましてす」
 声は前にかわらずやさしいけれ共「その様子では可愛いどころか一寸好いなんかと思う人が有ったら天地がさかさになってしまうだろう」兄君はその美くしい眼にかるい冷笑をうかべながらこんな人のわるいことを思って居た。
 常盤の君はわきに居る人をはばかる様子もなく兄君ばかりを相手にしてしゃべっては高笑いして居る。「人もなげな様子をして居る人だ。人にすかれない人にかぎって斯うだから、世の中は不思議だ」まだ年若なくせに光君はもう年よったようにこんな世間なれたようなことを思って居た。まるであくどいにしき絵をおしつけて見せられる様な心持でたまらなくむねが悪くなる。早く紫の君のあのかがやく様な姿が見えれば好いのにとはだれでもが思って居ることで有った。
「紫の君はどうしたんでしょうね。貴方は存じない?」
 母上が口をきった。光君は千万の味方を得たようにその方を向いた。
「どうしたんでございましょうね、あんまり御またせ申して居りますこと。ほんとに持って居る自分のねうちよりもよく見せようと思うには仲々手間の入ることでございましょうから」
 常盤の君は自分の妹の美くしさをねたんでこんなことを云う。
「それでもやっぱり女なんて云うものは、出来るだけみにくいところはかくした方がよいと思われますネー。どんなにかくしてもかくしきれないほどみにくい人はそりゃ別としてね」
 自分の思ってる人をごとごと云われた口惜しさに光君はこんなぶっつけたようなことを云った、女君は自分のことを云われたときがついて一寸むっとしたが又いやな笑がおにかえって、
「何だか私の御蔵に火がつきそうになりましたワホホホホホ」
 とっつけ笑いをしてこんなことを云った。
 光君の、どっちかと云えば幼心な世間知らずの心には、このとりすましたような女の口ぶりや姿がそのみにくいよりもいやでたまらないのでその本性をあらわしてくるりとうしろむきになって半分ねそべったような形してよっぽど古い、所々虫のくったあとの有る本をよんで居る。
 女は、
「御ねむりあそばしたの。御気にさわりましたらどうぞね」
 こんなことを云って兄君と又しきりにはなし出す。
 そのはなしのところどころにきこえる、
「紫の君」
と云うのに妙に気をひかれて目は本の上に有りながら心はそっぷ[#「ぷ」に「(ママ)」の注記]にとんで居る。話はなんでも紫の君の噂にきまって居る、どんなことを云うかしら、又どんな噂をされるほどの人かと光君の心はあてどもないことにおどる。
「ホホホホ、もう御やめあそばせ。実の親よりあの方のことを案じていらっしゃるかたが有るって云うはなしでございますよ」
「ほんとうに、うっかりして居ましたね。壁に耳有り障子に目あり、油断のならない世の中だのにネハハハハ。でもいいじゃあありませんか、別に悪口を云ったわけではなし、只まるで石か木のような人だと云ったばかりですものネ、そんなにうらまれもしますまいよ」
 光君は急に鉾先が自分の方に向ったのでびっくりして今更のように赤い頬をすると急に障子の外から、
「御免あそばして、……紫の君のところから御使にまいりましたが」
 まだにごりをおびない澄んだ童の声で有る。やがてとりつぎに女が出た様子で小さい声で何か云いあって居たが、
「それではよろしく御つたえ下さいますように」
と云って童はかえって行った。
 やがてとりつぎをした女は皆の前に出て丁寧に手をつかえたままでやさしいこえを出して、
「只今紫の君さまのところから御人でございまして斯う御言つけがございました。
 御まねきはまことに有難く、とんでもよりたい心でございますがあやにく少々気分が悪いのでふせっておりますし又ほんの少しではございますが熱が有るようでございますからまことに何でございますが今は失礼致しますから。
斯う云う仰《おおせ》でございました」
と云って首を上げるのを見るとさっき光君の時障子をあけた女で有る。立とうとすると物ずきな兄君は、
「どうもごくろう、よくわかりました。さて御前は大層やさしい声を御もちだが、どこの御生れかな」
 わざとこえをかえてしかつめらしくきくと若い女はたまらなそうに笑いこけながら、
「マア殿さまハ、何を仰せあそばすかと思えば、私なんかはもうもうお山のおくのおく、山猿といっしょに産湯をつかったのでございますもの」
 割合にはっきりした言葉で返事をする。
「するとその可愛らしい声も山猿の御伝授をうけたと云わるるわけだな。さだめし月のある谷川で叫ばれただろうし日のてる木の枝でもなかれただろうな」
 又前と同じ調子で有る。
「さようでございますとも仰のとおりに暮しましたので色はこの通りまっくろかおはこのようにみにくうなったのでございます。もうごめんあそばして」
 女は口がるにこんなことを云って几帳のかげに行ってからおされるように笑って居る。光君はそれどころのさわぎではない。つきとばされたような心持でじっと自分の着物のあやを見て居られる。はしゃぎきった兄君は光君の背をポンと一つ叩いて、
「どうなすった? この御人形のような御方、今の女は可愛い声と姿をしながら貴方には悪いしらせをしましたね、御きのどくな」
「でも死んだわけでもなしハハハハハ、マア、御あきらめあそばせ」
 なぐさめるように、また馬鹿にするように云う。
 光君はだまったまま只頭をふって居る。かおはまっかになって目はうるんで居る。兄君は又そうっと手をはなして女君とかおを見合わして押出したように笑って居る。
「もう来ないときまった人をまって居ても甲斐のないことだから始めようじゃあありませんか」
 光君は人が口をきいて居るような心地で云った。
 女は今更のようにどよめきたって、居ないと思った女達まで出て来て笑いどよめきながら貝合せをはじめる。光君は他人の手のうごくように夢中で面白味もなくやるのでつづけさまにまける、つづけてまけることはよけい光君の心をいらいらさせるばかりである。女達や兄君は興にのっていつまでもいつまでもつづけて居る。遊びのおわったのはもう灯のついてからよっぽどたってからで有った。
 遊びがすんでもまだ光君はどうも居どころがないように思われてしかたがないんで母君の几帳のかげで方坐の上によこになったまま、女の白粉のかおりや、衣ずれの音に夢のように紫の君のことを思って居た、ただ思って居ると云うだけでそれを深く研究するでもなく、自分の心をかいぼうして見るでもなく只思って居るばかりで有った。見た夢をまたくり返して居るような心地で、――
 兄君がかえってしまってからは常盤の君はまだ居のこって母君と一生懸命に碁をうって居た。そして几帳のかげの光君に時々声をかけては、
「いらしって御加勢なすって下さいナ、何だか雲行があやしくなってしまいましたもの」
なんかと久しい、なれたつき合いのようにたまに口を交したことほかない光君にしゃべりかける。わきに居る母君等はもうとうとうに目の中に入れてしまって居る。
 しいるようないやみな女の様子を一寸でも見たくない光君は幾度声をかけられても身じろぎもしない。自分を孔雀のように美くしい孔雀のようなおごりのある女だと思って居る常盤の君は、
「ほんとうに皆さま私達によくして下さるのに、彼の方ばかりはネーほんとうにどうあそばしたんでしょう」
なんかと母君に云いかける。
「どうしたもんでしょうかね、――このごろそれに何だか考え込んで居るようですからね」
「でも案外なところにほんとうの悪い人がひそんで居るもんでございますもの」
 こんないかにも母がそそのかして居るんだろうと云うようなことを云うんで気の小さい母君は居たたまれないような心持になって、
「私は一寸、御めん下さい」
と云って立ってしまわれる。常盤の君は自分のもくろんだことがあたったので気味のわるい笑をのぼせて居る。
 几帳のかげの光君はこれをきいていよいよいやみな女だと思ってかおを見たら云ってやることばまで考えて居た。いきなり几帳に手をかけた女は小声ではばかりながら、
「御ゆるし下さいませ、常盤の君の御云いつけでございますから……、御用心あそばせ」
と云いながら几帳をどけてしまった。その前には常盤の君が笑をいっぱいにたたえてすわって居る。
「何と云う人を見下げたことをする人だろう」
と思った光君の心は、男と云う名をきずつけられたような大きな□[#「□」に「(一字不明)」の注記]じをいだかせら□□□[#「□□□」に「(三字不明)」の注記]男の□□□[#「□□□」に「(三字不明)」の注記]は光君の口のはたに氷のような冷笑をうかべさせた。そしてとりつけた人形のようにわきを向いたまんまで居る。その様子にほほ笑んでひろげた口をすぼめて妙な目をした女は、
「マア何故そんなによそよそしい風をあそばしますの。同じ屋根の下に暮して居りますものを……どうぞも少し御うちとけなさって下さいな」
 あまったるい声で云う。光君は心の中で、
「何か云えば云うほどいやさがますばかりだ」
と思ってなんとも返事もしない。わきを向いたままである。
「ほんとうに、どうぞも少し御うちとけなさっても御そんは御有りになるまいに。私はこうしてたった二人きりになる時をどんなに前から待って居りましたろう」
「…………」
「まだ御だまり……
 じゃあ、私が申しましょう。私はね……私はね前から、どうかしてしみじみと御はなしをして私の心を知っていただきたいと思って居りましたの。どうぞ御きき下さいませ」
「そうですか」光君はポツンと落《おっこ》ちたような返事をした。
「ネー、私なんかは両親ともないもんでございますもの、いくら年は大きくなりましてもほんとに心細いことばかりあるんでございますよ。それでね、明けても暮れても思うのはたった一人でもたよりになる人がほしいとねーそればかり思って居りますの。貴方無理だと御思になりますか」
「無理も無理でないも、そんなこと貴方の御勝手ですもの」
「そうではございましても、ネーそれじゃあ不□[#「□」に「(一字不明)」の注記]でなくしておいていただいて、そう思うんでございますの、どうか貴方になんでも私の心の内に有ることをうちあけて御相談出来るかたになっていただきたいとねー。ほんとうに心から御ねがい申すんでございますよ」
「女のかたは女相[#「相」に「(ママ)」の注記]志が好いでしょう」
「そりゃあ女もようございますが悲しくて涙の出るときにはいっしょに泣いて呉れるばかりでそれについて力づよいことを云ってくれるでもなければ力にもなってくれませんもの」
「もうめんどうくさい前おきはやめて早く中みをお云い下さい」
 光君の声は恐ろしいまでにハッキリとキリキリした言葉であった。
「それじゃ申します、私は、――ほんとに御恥しいことですけれ共、貴方を、……御したい申して居りますの」
 一寸赤いかおをして女は云いきった。光君はだまって女のかおを今更のように見た。
 女はその小さい目に獣のような閃を見せながら、
「私達のような年になってする恋は仲々発しないかわりに命がけだと人は申しますもの」
 男さえも云いにくいと思うことをこの女は平気でたった二十ばかりでこんなことを云った。
「向日葵ハ太陽の光ならどんなささいなのにでもその方に向きますが、月のどんなによくてる晩でもうなだれてしおれて居るのが向日葵です」
 女は何の意味か分らないんで只だまって光君のかおを見つめて居た。
 いきな
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