。女はそれを光君の前に置いて、
「どうあそばします、御手伝いいたしましょう」
「あっちにおいで」
若者はそう云ったまま人形を抱いてつっぷしてしまわれた。女は見かえり勝に几帳のそとに出た。女はそのことを乳母に耳うちをした、乳母の目は急にひかってぬき足をして光君のわきに行って見た。急に身を引いて女達の居るところにかえって来た、乳母はそこになきたおれてしまった。女達は口々に、
「どう遊ばしました」
ときき乳母は涙にむせびながら、
「とんだことになってしまった、光君様はとうとう気が変になっておしまいになった」
漸くこれだけ云った乳母は前よりも甚く泣いて居る、女達はかわるがわるのぞいては泣いて居る。
「マア何という御いとしいことだろう、息もかよわない人形に紫の君の衣をきせて生きて居る人のようにしっかり抱えて何かしきりに云っていらっしゃる」
若い女達はもう自分の気も狂いそうに悲しがって居る。悲しい重い空気はこの美くしい部屋に満ち満ちてしまった、その事はすぐ西の対へも東の対へも知らされた。母君と兄君は目を泣きはらしながらすぐに馳けつけて来た。几帳はどけられて女達は何を云われても返事をするものがない、気のよわい母君はその姿を一目見た許りでそこに気を遠くしてたおれてしまった。兄君は美くしいしかし物狂おしい光君の手を取って、
「浅ましい姿になってしまった、私は貴方自身よりも悲しい思がする。たった一人しかないこの兄のかおが貴方に分るの」
かおをのぞき込んできくと光君は声をふるわせて遠くを見ながら、
「紫の君ほか私にやさしい言葉をかけて呉れる人はない。オヤ紫の君、彼の人がそこに居るじゃあないか、誰がいじめたのだ、そんなによわった様な姿をして居るじゃあないか、どこも痛くないの」
と自分の持って居る人形の手をにぎって肩をやわらかくさすって居る。そのいじらしい様子を男の兄君さえ見て居ることが出来なかった。母君は言葉もかけないですぐ女達にたすけられながら西の対へかえってしまわれた。兄君はしばらく女達にいろいろの意得なんかを云って居られたけれ共、
「出来るだけ早くもとの様になって下さい、私の一人しかない美くしい弟の人よ」
と云ってそのつめたい手をそうとにぎって涙をこぼしながらかえってしまわれた。女達はだれでもこの光君を大切に親切にあつかったけれ共その中でも目立ったのは先の夜に種々のことを問われそれに正しい公平な答をした年若な美くしい女と乳母とであった。物狂わしくなった光君はけっしてらんぼうをするようなことはなかったけれ共あけくれ彼の人の着物を着せた人形を抱いてその人の前に居る時の様に話して笑ったり泣いたりして居られた。女達がどんなに親切にして上げても光君は彼の美くしい年若な女と乳母の云うことほかきかなかった。朝夕の化粧、衣更のことなどは皆二人の手にされて常に物凄い様な美くしさを持って居た。光君は夜昼のけじめなく美くしいことばでかなしいことを口走って居た。
「ア、大変だ誰か早く来てお呉れ、彼の人を誰かがつれて行ってしまう、オヤもう見えなくなった。マア、このしゃれ頭はどうしたのだろう、きっとこの中に彼の人も居るに違いないけれ共、アア私は生きて居られないほど悲しい」
身をもんで人形をしっかり抱いて泣き伏して居られるト急に身をおこして、
「マア何と云ううれしいことだろう、あんなにつれなかった人がまアどうしてこんなにおとなしくやさしくして下さるの。私の生が新らしく又吹き込まれたほど嬉しい、オヤいなくなった、どこへ? 早くさがしておくれ、あああのおおきな川に身を投げようとして居る、ア、もう入ってしまった。あああたしのよろこびは一時の夢であった」
こんな様なことは日に幾度となくくり返されることであった。朝の化粧の時など、光君は自分の髪をかく前に人形のかみをかき、自分のべにをつける先に人形の唇にべにさし指できようにつけてやって自分の胸にしっかり抱いて、
「ア、彼の人の唇のべにが私の胸にうつった、貴女はこんなに音なしく私の云うことをきいて化粧までさして下さる」
そんな事を云いながら髪を梳いて居る若い女の手を取って、
「マア、何と云う美くしい手だろう、この手を私はもうもらってしまった」
こまかくふるえて居る女の手をしっかりにぎって自分の頬にあてたり眺めて見たりするのを女はさからおうともしないでなすままにされて居る。紅は、この美くしくて物狂おしい人を思って居る、光君が紫の君を思って居た位、けれ共主従の関係をふかく頭にきざみ込まれた女は胸のさけそうな苦しさをしのんでかお色にもそぶりにもあらわさないで紫の君との恋の成功するようにとかげながら思って力をそえて居た。恋に敗れた光君は気が狂ってしまった。女は悲しみながらも自分一手でこの美くしい人の世話の出来るのをよろこび、又自
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