の女達は急に鏡を見たり袴の紐を結びなおしたりしてどよめき出す。光君は衣をかかえたまま兄君に手を引かれて女の前に行った。
「ほんとうにようこそ御出で下さいました。あんまり淋しゅうございますから誰方か来て下さればと思って居った所でございます、ほんとうにようこそ」
といかにも嬉しそうにじょさいない口調で云う。
「私の来たのよりこの人の来た方がどれだけ嬉しいのだか知れたものでない」
女は微笑みながら光君の方をチョイチョイ流目に見る。
「貴方は何故そんなにぼんやりして居るの、しっかりなさい」
ぽんと光君の背を叩いて紫の君の衣を指さして女と目を合せて笑う。女は表では快く笑いながら心の中にはヤキモキして大変飛びかかりたいほどである、あんなに自分をきらった人がどうして来たのかとうすきみわるく妙にも思った。女達は三人を取り巻いていろいろの話をしてはしゃいで居る、しばらく話してから兄君は何と思ってか光君を一人のこしてかえってしまわれた。女達は遠慮した様にみんな次の間に立って行ってしまった、加なり広い部屋の几帳の中には立った二人きりになってしまった。
「どう遊ばしましたの、大変ぼんやり遊ばして」
女はお腹の大きくなって形のわるくなりまさったのを恥かしいとも思わない様子でしゃべって居る。
「エエ」
光君はまだぼんやりして居る。
「エエじゃあございませんよ、どう遊ばしたんでしょう」
「…………」
「アラどなたの御めし、お美しいんですこと。どなたのかあてて見ましょうか紫の君の、そうでございましょう」
手を出してその着衣を取ろうとする、光君はだまったまましっかりおさえてはなさない。女はいまいましい様なかおをしてそれから手をはなして、
「貴方、あちらはさぞ面白くっていらっしゃったでございましょう、お二人でネ。私の上げた御手紙なんかはどうなりました事やら」
「面白くて悲しくて情のうございましたよ、貴方の手紙なんかあんな手紙私は見あきてしまった」
「上げない方がよろしゅうございました、貴方は一寸も私の心を察して下さらない」
女はいかにも恨しいと云う様に鼻声で云う。
「私は貴女のなまやさしい手紙を見る毎に身ぶるいが出た。私はチラとききましたよ、貴女のお腹の大きくなった事生れるややさんのおっつけ主をさがして居る事からあの兄弟のいたちの道切りの事までもネ」
いつもにない早口のよそを見ながら云う調子の妙なのに女は妙なかおをしながら、
「アラそんな事はございませんよ、誰が申しました。私は一人で淋しくなきながら貴方の御かえりを待って居りましたのに」
「ほんとにさぞ淋しくかなしかったことでしょう、いたちの道切りをされた時には」
「貴方今日どう遊ばしたんですの、紫の君の着物を御もらいになったのでどうか遊ばしたんでしょう」
「…………」
「私はどんなに貴方を思って居るか、御わかりになりませんの。
ほんとうに私はどれほど貴方を思って居りましょうか、どうぞ哀れとお思いになって下さいませ」
「…………」
「私はあなたのそのまぼしい様にお美くしい御かおを見て身にしみる様に、そのうつり香をかぐ時私は私はマアほんとうに」
女は青筋の沢山出た手で光君の手をとった。光君はだまって手をとられて居たが、いきなり女君をつきとばすようにして立ちあがり、
「よろしく、御腹の赤さんに」
と云って戸のそとに走り出てしまわれた。廊を走って行く足音がどこまでもつづく。
(十二)[#「(十二)」は縦中横]
フラフラしながら部屋にかえって来た男君は集って居る女達に一言も云わないで、几帳のかげに入ってしまった、身じろぎの音もしない。女達は眉をひそめて、
「どう遊ばしたんでしょう」
「又、何じゃあないんでしょうか」
「妙な御様子ですこと」
などと云い合って居た。乳母は気が気ではなく若しや気でも変になったのではないかと時々いろいろのことをたずねる。
「紫の君はどう遊ばしました」
「また無情くされた」
「又、又でございますかマア何という」
乳母のかおは前にもまして曇った。
「もう私の死ぬのは目の前に迫って居る。私の十八の生命は長くて短かかったネーお前にもいろいろ御世話になった」
話をすれば間違ったことは云わなかった、けれ共夜はすることもなしにボンヤリとおきて坐って居て昼は他わいもなく寝入って居た。そんな日が一週間も綴いた、八日目の日男君はわきに居る女に、
「母君のところから大きな雛《ヒナ》を一つかりておいで、女びなを」
せいた調子で云いつける。
女は不思議なかおをして、
「おひな様でございますか、何に遊ばすんでございます」
「何故もって来て呉れないのか、私は死んでしまうから」
こわいきびしい調子で云ったので女は気味をわるがって西の対へ使に行って間もなく美くしいひなを持って来た
前へ
次へ
全28ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング