るで絵の様な、私はその涙を私のためにそそいで下さる様にとどれだけねがって居るかは貴女も知って居らっしゃるだろうに」
とうらめしい様に云いながらそのそばによると、思いがけなく声をかけられしかもそれが光君だと云うことを知った女君はにげるにも逃げられず声を立てるにもたてられず前より以上に深くつっぷしてしまわれる美くしさはなおます許りで夕暮のさびた色の中に五色の光を放つかの様に見えた。男君は女君の大きな衣の下から細工物の様な手をさぐり出してそっとこわれない様にと云うふうに握りながら、
「何故そんなになさるの、私はどんなに貴女のそのかがやく様なかおを扇なしで見たいと思って居たことでしょう、ネ、どうぞこっちを向いて下さい」
 女君のすき通る様に白い耳たぼはポーと紅さしてとられた手を放そうともしないで只小さくふるえていらっしゃる様子に光君は、
「どうしたら好いだろう、こんなに可愛い人を」とまで思いながら自分も小さいふるえた声で、
「私は何からさきに云ってよいやらわからない。私はほんとうにもう死んでも好い、貴女のかおを扇なしで見たから、貴女は自分のために命をなげうってまで辛い恋をして居る男を哀れとお思いにならないのエ」
 女君は恐れる様に身をふるわせて居る。
「そんなに貴女は私を恐れてそんなにいやがっていらっしゃるの、私はマア――そんな人間になったのだろうか。私は、それだのに、それだのに私はどうしても貴女のことが忘られない、心をこめた錦木も童のおもちゃにされるほどだのに」
「…………」
「何とも云って下さらない、どうぞ何とか云って下さい、『馬鹿者』とでも『おろか物』とでも。私は気が狂いそうだ、私の心はどうしても貴女に通じない、サ、どうぞ何とか云って下さい」
 若君の声ははずんで絶々に女君の耳にささやかれる。女君のかおは青ざめてふるえもいつか止まって小鬢の毛一本もゆれて居ない。口は封じられた様にかたくとざされて人形の様になった女君に、気のぼうとなって体の熱さばかりのまして行く男君は尚熱心に云う。
「貴女は知って居らっしゃるでしょう、恋しい人の門に立てる錦木の千束にあまっても女の心が動かない時には男はいつでも苦しい悲しい思をのがれるためにまだ末長い命をちぢめると云うことを。私の立てた錦木はもう千束にとうにあまって居ます、それだのに貴女は、貴女は」
 女君の目からは涙が流れた。恐れてでも、若者の心を察してでもなかった。女君の心はこんなことを云われる自分はどこかたりないところがあるからだと云う思でみちみちて居た。涙は口惜しい意味の涙であった。
「涙! 誰への涙何が悲しくって。
 貴女は私が貴女の二親のないので馬鹿にした恋を仕掛けて居ると思って居らっしゃるんではないの、そうじゃあないの。私の此の命にかえてまでの恋は貴女にはそんなに思われているのか知ら、そんなにまで下らないものに思われて居るのか知ら、それほどまで」
 男君の頬には涙が流れた。
「私はもう何も云いますまい、けれどどうぞこれだけは返事をして下さい。貴女の私にこんなにつれなくするのは御自分の心からなの、それとも人に教えられて、どうぞ教えて下さい」
 女君はだまって居る。
「何故返事して下さらない、貴女の心から、それとも」
 女君の唇はまだ動かない。
「貴女の心から、それとも教えられて」
 若君の心はふるえにふるえおののきにおののいて居る。
「心から」
 低いながらもハッキリした声は人形の様な女君の口からもれた。男君の顔の筋肉は一時は非常にきんちょうしそして又ゆるんだ、と同時に、
「貴女の心から心から、貴女の、おお貴女の心から、どうぞどうぞ貴女のその口から死ねと云って下さい、死ねと……云って下さい。私のこの真心はあなたの心の中に皆悪い形に変ってうつって居た、もう二度と貴女に会いますまい、けれ共死んでも貴女を忘れませんよ、死んでも忘れませんよ、それだけは覚えて居て下さい。おお、氷の様な美しさの方、忘られない方、紫の君」
 光君のかおは死んだ様に青ざめて息ははずみ声はうわずってあらぬかたを見つめ、もえる様な言葉はふるえる唇からもれる。だまって毛を一つゆるがせなかった女君はソーと立ち上った。一足一足段々遠くなるけれ共、若君はまだよそを見つめて居る。女君の姿はも少しで物かげにかくれようとしたその時急に夢からさめた様に、しなやかにうなだれて行く女君の後姿を見て居たが両手でしっかり胸を抱いて、
「おお、あの姿――」
 つっぷしてかたまった様になった男君の姿は、淋しい潮なりと夕暮のつめたい色につつまれながらいつまでもそこを動かなかった。

        (九)[#「(九)」は縦中横]

 その後一日二日と立つにつれて光君の頬のやつれは目立って来た。前の様に苦情も云わず悲しいことも云わないでだまったままでだん
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