んなに悪く云うものではない、その強い所が彼の人の何よりも尊いところだと私はよろこんで居る。だれかの様な女は私はすきでない」
と思いがけない光君の声がしたので女達は悪いことを云ったと思って穴にでも入りたいような気持になった。それから間もなく光君の泣いて居るらしい気合[#「合」に「(ママ)」の注記]がするのでさっきの事でよけいに思いがましたのだろうと思って若い女達は「お可哀そうに」と重なり合って泣いて居ると、
「世の中に私ほどはかない事をたよりに生きて居る人はないだろう。私はもうじき死んででも仕舞う」
と云う言葉の末は涙にききとれないほどであった。日の落ちるまで光君は淋しさ、悲しさにたえられないと云うようにして居られたが夜に入ってから只一人うつむき勝に病上りのようにフラフラしながら細殿をあてどもなくさまよって居るといきなり女らしいなまめいた香に頭を上げて見ると光君の躰は目に見えない何物かに引かれて西の対へ来て居た。光君は去りにくい心持になって若しや彼の人の声はしないかしら、童にでも合えばなどとあてどもないことをたよりにしずまった細殿を行ったり来たりして居ると傍の部屋ではしゃいだ女の声で高らかに人の噂をして居るのがハッキリ聞える。
「この間の宴の時に弟君の下に居た方をお知りかえ、何と云う妙な方だったろう」常盤の君の声である。
「誰だって気がついて居りましたでしょう」
「中びらな御かおで」
「お歯がらんぐいで」
「出目で」
「毛がおうすくて」
「お色がくろくて」
と別々な声で云って崩れる様に笑って居る。此の間の晩の事を思い浮べて又今の話をきいて身ぶるいの出るほどいやな心持になった光君はそこをはなれてしずかに更けて行く庭の夜景色を欄干によって見て居られたがさとくなった耳にフト何とも云われなく美くしい琴の音がひびいて来た。かすかにごくかすかに夜の空気の中をふるえてつたわって来るその音。――白金の矢の様に光君の心をいた。光君の足は自《おのず》と動く。耳をすまして体は少し前かがみ、足をつまさき立ててかるくはかどる。一足――一足、一足毎に近づく音はますますさえる。魂は飛んでもぬけのから、もぬけのからのその体を無形のものは益々誘う。飛んだ魂は、夜闇の中に、音に添うてはパッとはなれ、はなれてはまた添い、共にもつれてクルクルクル見えないところで舞の振事、魂がその音か、その音が魂か、音に巻かれて魂はますますとんで行く。とんでとんでとびぬいてやがてもどった魂をもとにおさめてハッときづけば、無残、しとみ戸はとざされてその中から琴の音、ぞっとするような、うっとりするような、抱えたような、投げたような、海の中に柳が有ったらお月様のかげの中に身をなげてしにたいような、立って動かぬしとみ戸に影うすくよって聞く人は声なくて只阿古屋の小玉が頬に散る。余韻を引いて音はやんだ、人はまだ動かぬ。
(五)[#「(五)」は縦中横]
身じまいをしてかがやく様に美くしくなった姿を几帳の陰になつかしいうつり香をただよわせて居るのは此の部屋の主わずか十六の紫の君である。たきしめた白い紙に象牙細工のきゃしゃな手を上品に手習をして居る女君の様子はたとえられない様な美くしさである。まわりに居るものは乳母とその娘と外に四五人みな身ぎれいにして居ながら常盤の君の部屋の女のようにはでな所はみじんなくじみにしっかりした風の見えるのはかよわい女主人をもりたてなくてはと思う心づかいの結果であろう。女達は傍に女君の居るのもかまわずに此の頃の光君の様子等をいろいろと話し合って居る。少しでも云ったら女君の心は動くだろうと思っての事。
「御両親さえおいでになったら今頃は女御でいらっしゃったかも知れないのに御定命とは云えあんまり何でした」と一人の女が云う。乳母の娘は、
「ほんとうに、もう御年頃でもあるし私達が御つき申して居ながら姫様御一人どうすることも出来ないと云っては御亡くなりになった方にも相すまないし、又こんなところのことですから光君を置いては他に似合わしい方もいらっしゃらないし」
と几帳の影を見ながら云うと他の女達もが、
「ほんとうに私達はそればかりが心配で」
と云うあとをひきうけて、
「だれでも思って居る事です、まして先の短い私は命のうちに姫様の御婚礼の式のある様にとどれだけ祈って居るか知れません。何ぼ何と云っても姫様の様ではほんとうに困りますけれ共また常盤の君の様でもネ」
と遠慮のない乳母はあんまりずけずけした事を云うので娘は袖を引いて、
「マアそんな事を云うものではありませんよ。上様(兄君)だって『この方は近頃の女に似合わないかたい心を持っていらっしゃるたのもしい人だ。私の奥さんにしても恥しくない方だ』なんておっしゃったほどですもの誰だって姫様を悪く思ってやしません」
などと云う
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