返事もしない。わきを向いたままである。
「ほんとうに、どうぞも少し御うちとけなさっても御そんは御有りになるまいに。私はこうしてたった二人きりになる時をどんなに前から待って居りましたろう」
「…………」
「まだ御だまり……
じゃあ、私が申しましょう。私はね……私はね前から、どうかしてしみじみと御はなしをして私の心を知っていただきたいと思って居りましたの。どうぞ御きき下さいませ」
「そうですか」光君はポツンと落《おっこ》ちたような返事をした。
「ネー、私なんかは両親ともないもんでございますもの、いくら年は大きくなりましてもほんとに心細いことばかりあるんでございますよ。それでね、明けても暮れても思うのはたった一人でもたよりになる人がほしいとねーそればかり思って居りますの。貴方無理だと御思になりますか」
「無理も無理でないも、そんなこと貴方の御勝手ですもの」
「そうではございましても、ネーそれじゃあ不□[#「□」に「(一字不明)」の注記]でなくしておいていただいて、そう思うんでございますの、どうか貴方になんでも私の心の内に有ることをうちあけて御相談出来るかたになっていただきたいとねー。ほんとうに心から御ねがい申すんでございますよ」
「女のかたは女相[#「相」に「(ママ)」の注記]志が好いでしょう」
「そりゃあ女もようございますが悲しくて涙の出るときにはいっしょに泣いて呉れるばかりでそれについて力づよいことを云ってくれるでもなければ力にもなってくれませんもの」
「もうめんどうくさい前おきはやめて早く中みをお云い下さい」
光君の声は恐ろしいまでにハッキリとキリキリした言葉であった。
「それじゃ申します、私は、――ほんとに御恥しいことですけれ共、貴方を、……御したい申して居りますの」
一寸赤いかおをして女は云いきった。光君はだまって女のかおを今更のように見た。
女はその小さい目に獣のような閃を見せながら、
「私達のような年になってする恋は仲々発しないかわりに命がけだと人は申しますもの」
男さえも云いにくいと思うことをこの女は平気でたった二十ばかりでこんなことを云った。
「向日葵ハ太陽の光ならどんなささいなのにでもその方に向きますが、月のどんなによくてる晩でもうなだれてしおれて居るのが向日葵です」
女は何の意味か分らないんで只だまって光君のかおを見つめて居た。
いきなりおこりの起ったように立った光君は、
「御免下さい」
と云ったまんまその怒と、はずかしさと悲しさの三つの思の乱れにふるえながら東の対にかえってしまった。くらい灯のかげに坐った光君は、
「まるで獣のような女だ! だれがたのまれたってあんな女を、
人を馬鹿にして居る、私は自分の胸の中に保って居る彼の美くしい貴い人まで馬鹿にされたような気がする」
などとげきして居たが心がしずまるとともに、今日の行っても紫の君のこなかったこと又いくら文をやっても錦木をたてても何のかえしさえして呉れない美くしい人のことを思ってかぐわしい香の香にひたりながらふるえるようなさみしさとかなしさに涙をながして居た。くらい灯にそむいて白い頬になみだをながして居る光君の姿は常にもまして美くしいあわれなもので有った。
[#ここから3字下げ]
かゝる夜をなく虫あらば情なき 君も見さめて物思やせん
かなしみのはてに□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]しみおぼろげの 死てふ言葉にほゝ笑みぬ我
[#ここで字下げ終わり]
こんなことを小声に云いながらたえられないように自分の胸をしっかりとだいて香の煙の消えて行く方に心をうばわれて居る。
(四)[#「(四)」は縦中横]
此頃の光君の様子はまるで病んで居るようで朝から晩まで被衣をかぶって居られる。どうかして気をまぎらせたいと僧を呼んでお経をよませたり自分でよんだりして居られたけれ共有難い御経の文句も若君の心はなぐさめる事が出来なかった。さっきまでお経をよんで居た声がパッタリ止んでから今までよっぽど立つけれ共身じろぎする様子さえもないので年かさの女はそうとそばにすりよって様子をうかがって居たがやがて衣ずれの音を気にしながら元の座に帰って来ていかにも心配そうにうつむいたままで居るので女達は、
「どんな御様子でした、御寝になってるんでしょうか」と云うと只女は、
「御可哀そうな事です」と云ったきりで涙を流して居る。外の女達も人にかくして思いなやんで居る心根をいじらしがって化粧のはげるのも忘れて居た。ことに久しい間ついて居る女達なぞは、
「ほんとうにあの紫の君は憎い方だ、あの方さえやさしい心を持って居らっしゃれば君様を始めこんな悲しい思をしないものを。あんな美くしい御顔であんな強いお心を持って居らっしゃるとはほんとうに」と悪口を云って居ると、
「そ
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