ながら、
「マア殿さまハ、何を仰せあそばすかと思えば、私なんかはもうもうお山のおくのおく、山猿といっしょに産湯をつかったのでございますもの」
 割合にはっきりした言葉で返事をする。
「するとその可愛らしい声も山猿の御伝授をうけたと云わるるわけだな。さだめし月のある谷川で叫ばれただろうし日のてる木の枝でもなかれただろうな」
 又前と同じ調子で有る。
「さようでございますとも仰のとおりに暮しましたので色はこの通りまっくろかおはこのようにみにくうなったのでございます。もうごめんあそばして」
 女は口がるにこんなことを云って几帳のかげに行ってからおされるように笑って居る。光君はそれどころのさわぎではない。つきとばされたような心持でじっと自分の着物のあやを見て居られる。はしゃぎきった兄君は光君の背をポンと一つ叩いて、
「どうなすった? この御人形のような御方、今の女は可愛い声と姿をしながら貴方には悪いしらせをしましたね、御きのどくな」
「でも死んだわけでもなしハハハハハ、マア、御あきらめあそばせ」
 なぐさめるように、また馬鹿にするように云う。
 光君はだまったまま只頭をふって居る。かおはまっかになって目はうるんで居る。兄君は又そうっと手をはなして女君とかおを見合わして押出したように笑って居る。
「もう来ないときまった人をまって居ても甲斐のないことだから始めようじゃあありませんか」
 光君は人が口をきいて居るような心地で云った。
 女は今更のようにどよめきたって、居ないと思った女達まで出て来て笑いどよめきながら貝合せをはじめる。光君は他人の手のうごくように夢中で面白味もなくやるのでつづけさまにまける、つづけてまけることはよけい光君の心をいらいらさせるばかりである。女達や兄君は興にのっていつまでもいつまでもつづけて居る。遊びのおわったのはもう灯のついてからよっぽどたってからで有った。
 遊びがすんでもまだ光君はどうも居どころがないように思われてしかたがないんで母君の几帳のかげで方坐の上によこになったまま、女の白粉のかおりや、衣ずれの音に夢のように紫の君のことを思って居た、ただ思って居ると云うだけでそれを深く研究するでもなく、自分の心をかいぼうして見るでもなく只思って居るばかりで有った。見た夢をまたくり返して居るような心地で、――
 兄君がかえってしまってからは常盤の君はまだ居のこって母君と一生懸命に碁をうって居た。そして几帳のかげの光君に時々声をかけては、
「いらしって御加勢なすって下さいナ、何だか雲行があやしくなってしまいましたもの」
なんかと久しい、なれたつき合いのようにたまに口を交したことほかない光君にしゃべりかける。わきに居る母君等はもうとうとうに目の中に入れてしまって居る。
 しいるようないやみな女の様子を一寸でも見たくない光君は幾度声をかけられても身じろぎもしない。自分を孔雀のように美くしい孔雀のようなおごりのある女だと思って居る常盤の君は、
「ほんとうに皆さま私達によくして下さるのに、彼の方ばかりはネーほんとうにどうあそばしたんでしょう」
なんかと母君に云いかける。
「どうしたもんでしょうかね、――このごろそれに何だか考え込んで居るようですからね」
「でも案外なところにほんとうの悪い人がひそんで居るもんでございますもの」
 こんないかにも母がそそのかして居るんだろうと云うようなことを云うんで気の小さい母君は居たたまれないような心持になって、
「私は一寸、御めん下さい」
と云って立ってしまわれる。常盤の君は自分のもくろんだことがあたったので気味のわるい笑をのぼせて居る。
 几帳のかげの光君はこれをきいていよいよいやみな女だと思ってかおを見たら云ってやることばまで考えて居た。いきなり几帳に手をかけた女は小声ではばかりながら、
「御ゆるし下さいませ、常盤の君の御云いつけでございますから……、御用心あそばせ」
と云いながら几帳をどけてしまった。その前には常盤の君が笑をいっぱいにたたえてすわって居る。
「何と云う人を見下げたことをする人だろう」
と思った光君の心は、男と云う名をきずつけられたような大きな□[#「□」に「(一字不明)」の注記]じをいだかせら□□□[#「□□□」に「(三字不明)」の注記]男の□□□[#「□□□」に「(三字不明)」の注記]は光君の口のはたに氷のような冷笑をうかべさせた。そしてとりつけた人形のようにわきを向いたまんまで居る。その様子にほほ笑んでひろげた口をすぼめて妙な目をした女は、
「マア何故そんなによそよそしい風をあそばしますの。同じ屋根の下に暮して居りますものを……どうぞも少し御うちとけなさって下さいな」
 あまったるい声で云う。光君は心の中で、
「何か云えば云うほどいやさがますばかりだ」
と思ってなんとも
前へ 次へ
全28ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング