った事はちゃんちゃんとして行ってもあとは柱にもたれてボンヤリして居たり何かもうどうしても忘られない事をしいてまぎらそうとするように、涙の出るような声で、歌をうたったり、琴をひいて居たりして段々何となく物思わしげな病んで居るような様子になって、三度のものなどもあんまりはかばかしく進まなくなった。女達はもうすっかり察して居るので、
「御かわいそうにネー、もう皆知って居るんですもの、そうおっしゃりさえすれば大奥様に御相談してどうにでもなるものをネー、又そこが御可愛いいんだけれ共」
「何だか物語りにでも有りそうじゃあありませんか、ネーそして夕方なんか、あの姿でうす暗いなかにうなだれて居らっしゃるところなんかはまるで絵のようです」
なんかと云い合って居る。
「ネー若様、ほんとうに大奥様に申し上げてもよろしいでございましょう、そうすればどうにでもなるんでございますもの」
と乳母はそれに違いないと思ったので云って見たがやっぱり、
「そんなことを幾度くりかえして云って居るんだろう。本人がそうでないって云ったら一番たしかだのに、ネ」
といかにもいやそうに云うのでそれもならずに、どうしたら好かろうと迷って居る。この頃、気分がはっきりしないと云って朝から、被衣《かずき》をかぶってねていられるので乳母はとうとう大奥様――光君の母上のところに云ってやった。
「私からじかに文なんかをさし上げましてまことに失礼でございますが若様は何だか少し御様子が常と御変りになっていらっしゃります。彼の花の御宴の時からと申し上げましたら大抵御心あたりの御有りあそばす事と存じます。私もいろいろ申し上げて見ましたが何でもないとおっしゃるばかりで……
 どうぞ大奥さまから御文でも若様に下さいますように、この頃のうちしめった御天気の中で心配を持ってくらして居ります私の心も御察し下さいまして」
とこんなことを云ってやったんで母君のところから、家中で一番可愛いと云われて居る童が見事な果物にそえて文をもって来た。面倒くさそうによんで見ると、
「乳母のとこからの手紙に貴方の気分がすぐれないようだと云って来ましたが、もし体がわるければ典医を上げても好い――気に入った僧に御いのりをしてもろうてもいいでしょう。若い人にあり勝のことでなやんで居るのなら親身の私だけにおしえて下さってもいいでしょう。出来るだけの事なら力もそえましょうしネエ、どうぞ私にかくしたことをそう沢山持たないようにしてこの老[#「老」に「(ママ)」の注記]とった私に心配させないで下さい」
と書いてあった。光君は、あんな枯木のようになった、血もなんにも流れていないような母君にどうして私の思って居る事を私の満足するようにすることが出来るはずがないと思いながらそのつやのない墨色を見て居ると、
「御返事をなさらないんでございますか、何とか申し上げましょうか」
ときいて居るのに、
「有難うってネ、云ってお上げ」
と云ったきりでまただまりかえって居たけれ共夜が更けると一緒に段々目がさえてこまったと云って当直の女をあつめていろいろな世間ばなしをさせたり物語りの本をよませてなど居たけれ共中々ねむられそうにもなかった。
 いろいろのはなしの末に一番まだ年若なつみのない女が、
「この頃ネー、西の対の紫の君さまのところへ」
と云い出したのを一人の女がおさえつけて、
「ほんとうに紫の君は珍らしい御方でございますことネー」
と云い消そうとして云ったのを光君はすぐきいてしまったのでだまって衣のはじをひっぱって居た手をとめて、
「もう皆に知られてしまったからかくすのはやめにした、だけどいろいろな事を云ったり笑ったりしちゃ私が困ると思って居たんだから」
と云ってよこを向いてしまう。女達は皆目を見合って急に荷散るように笑い出したら光君までまっかなかおをして笑い出してしまった。
「若様、大丈夫でございますよ、そんなこと」
と云ってまだオッホホホホと笑って居る。彼の年まは一番笑いこけながら、
「ネーやっぱり私が目が有ったでございましょう、でもよく今までもちこたえて居らっしゃったこと」
なんかと云ってひやかして居た。光君は気が狂ったように笑ったりふさぎ込んだりして夜を明してしまった。
 翌日はまた春に有りがちなしとしと雨が銀線を匂やかな黒土の上におちて居た。落ちた桜の花弁はその雨にポタポタとよごされて居る。
 光君は椽に坐って肩まで髪をたれた童達が着物のよごれるのを忘れてこまかい雨の中を散った花びらをひろっては並べならべてはひろって細い絹の五色の糸でこれをつないで環をつくって首にかけたり、かざして見たりして居るのを何も彼も忘れたように見とれて居た。気のきいた子が一番念入りに作ってあげた環を光君は、はなされないように自分の前にならべて置いていろいろのことを書きつけてそ
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