がらどちらへか御いでになったのでございますよ、マア、それからどちらへ御こしになったかはわかりませんですが」
「そうでございましたか、オオ、どこへいらっしゃったのでございましょう。実はさきほどから一寸二人ともとろりといたしましたらもうどこへか御出になってしまったのでございますもの」
紅は礼を云うのも忘れて東の対にかけもどると、殿も母君も外の人達も御おきになってくらやみの中におどろきとかなしみとにとらわれて立って居る。
「わかりましてす」
紅はたったそれだけ云ったきりで座ってしまって何も云えない。
「どうなすったの、早くおっしゃいよ」
外の女達はすすめるけれ共息ははずむ、自分の罪はせめられる。
「只今紫の君様の御部屋にうかがいましたらもう三時も前にあの御部屋の前で悲しいうたを御うたいでしたが、高笑いを急にあそばしてどこへか行って御しまいあそばしたと云うことで……」
紅はうっつぷしたまんま斯う答えた。
「エ? 紫の君の部屋に行ったって? どうしたんだろう」
母君はふるえた、でもあきらめたような声で云う。人々の頭には雷のように、
「死んでしまった」
と云うことがひらめいた。けれ共各々はなるたけそうでないようにといのって居るけれ共どうしてもそれが思われてならなかった。
いきなり向うの細殿を小供の足音でかけて来るものが有る。うすい着物の上に片っ方だけ袿《うちぎ》をひきかけて走ってきた童は、人々のかおを見ると急にポロポロと涙をこぼして幼いもののだれでもがするようにしゃくり上げてどもってばっかり居る。
「どうおしだ、何があるの、云って御呉れ」
殿はやさしい声でその手を背におく。
「申し上げます、わ……わかさまが……彼の奥の池に紫の君様……の……御お、衣がう、ういて居りますと只今申して来たものがございます……」
「エー? 奥の池に――紫の君の衣が……」
殿のかお色はにわかに変って唇はワナワナとふるえて居る。女の人達はもうそのわけを察してもう声を立ててなきくずおれて居る。
「私達の心で思って居て口に出さないで居た結果がとうとう来た。彼の骨をけずるような悲しみはまだ年の若い情のかったあの人にはしのべなかった、だからまずもののわきまえのないように気が狂ったのだ、それでもまだ苦しいつらいことが有ったと見えて永久に苦しみのない静かな水の底に柔い藻に抱かれてしまったのだろう、秋の
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