ろの人達をつつんだ西[#「西」に「(ママ)」の注記]の対は読経の声と絃の音と溜息の声につつまれて一日一日とたって行くので有った。とうとう悲しみの中に五月雨は来てしまった。じくじくと雨の人々の涙のように降る日も、きまぐれにカラットしたお天気になった時も、光君はうす明りの部屋の中に美くしい日化粧の姿をよこたえたりして、紫の君の人形をしっかりとかかえて美くしいうわことを云いながら只淋しい秋の来るのをまって居るばかりで有った。

        (十四)[#「(十四)」は縦中横]

 五月雨が晴れると急に夏めいてようやく北にあるこの館にもむしあつい風は吹くようになった。人々の夏やせはいつもの年よりは、目立って見えた、蝉もないた。日ぐらしも。草むらにほたるは人だまのようにとんで、朝がおは朝早くさいて日の上らない内にしぼんでしまった。こんなことを毎日くりかえしてものうい夏にそぐわぬ力のない日を送って居る内に、もう、桐の葉の一葉又一葉凋落の秋をさとすように落ちはじめた。
「もう秋ですものネー、春の御宴の時からもう冬をこせば一年になりますもの」
 人達は今更のようにこんなことを云い合った。
 薄の穂に桐の梢に秋は更けた。庭のやり水がかれて白い、洗われた石がみにくく姿をさらして居るのを人達は何か知れないものをさとされるような気がしてそれをじっと見ては居られないようで有った。
「この秋、若君は御なおりなされなければ悲しいことは有るに違いない」
 こんなたよりのない、あきらめたようなことばも誰云うとなく口々にのぼった。
「なまじ生きて居て悲しいつらい目に合わせるよりはね」
 涙も枯れたようになった母君は救の言葉を見つけたようにこんなことを云って居た。紅や乳母はこのことをきいて、
「一体だれがそんなことを云いだしたんでしょう」
「誰だか知らないけれ共、あんまりじゃありませんかネエ、私達はいじにも御なおし申さなくっては」
 怒りながらこんなことを云い合って居た。
 どことなくしずんだことさら秋の悲しさの身にしみるような日の夕方、九月はもう二十日になって居た時の夕、紅は乳母にかわってもらって昨夜のてつ夜に疲れた体を几帳のかげにそのまま横えてねるともなし、おきるともなしにかおにかんばしいかおりの額髪をかぶせたまんま居ると、そろっと足音をたてて近よった人はその額がみをよけて横になって居る体を子供を
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