に二つの白いやさしいかおがういたようにならんで見えて居る。紅はこころの中によし光君はなおったあとに忘られることで有っても一寸でもこの時間の永いことがのぞまれた。
「どうぞこっちを向いてね。せめてやさしい声だけでも、オヤ、アラ、笑ってる、忘れてくれる悲しいことを皆んな――世の中、世の中、何故! 妙なものだ」
 紅の手は光君の手の中に小さく、柔らかくふるえて居る。
「若さま、御存じでございますか、私を? 誰だか――」
 小さい女らしい声できいた。
「誰だってきくの、私が知らないと思って居るの? 私は知って居るとも、美くしくて私につらくあたる人、思わせぶりな罪な人って云うことを」
「違います、私は、私は、貴方の御召つかいでございますの」
「ホラきれいじゃあない、この着物は、この模様、何だと思う――アアいやだいやだ、どこに行ったらたのしいところがあるの――美くしいほんとうに私は死ぬほど思って居るのにこの人は」
 片手で人形をゆすりながらいたいほど紅の手を引く、かおがぶつかるほど近よせて、
「オヤ、アラ、お前はお前は目が三つも有って、アアきっと彼の人を呪って居るんじゃないかしら、そうじゃあない? まあいい、美くしい可愛い、私の死んだ時にネエ、雨が降って花が散って、人は笑ってましょう」
 何だか正気のようだと紅は思ってそっとそのかおをのぞいた。目はいつものように上ずって居る、かがやきもなく、只あやしくくもって居る、口元にはさみしいほほ笑みとかなしげなといきがもれる、手はふるえて居る。女は自分の事を云われて居るのかと思えばそうでもなし、そうでないと思えばいつの間にか自分のことを云われて居る、つきとばされたりなでられたりして暮して居るこのごろを、死んでしまいたいと思うほどつらく情なく、又はなれにくいほどのしゅう着をもって居た。紅はこんなことも思って見た。
「若様は正気がなくっていらっしゃる。思いきって、思いきって、思ってるたけを申し上げてしまったって、御なおりになってからは御存じないんだから」
 けれ共今までながい間の年月包んでけにもさとらせなかった辛抱を今ここにすっかりぶちまけてしまうことはあんまりあっけなく残念にも思って居た。
 気の狂った光君、この人をそうっと思って居る紅、只乳母と云う名のために心配して居るもの、朝から晩までつききりについて居る紅をうらやむ女達、斯うしたいろい
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