も御忘れあそばすだろうと存じますと……それもかなしみの一つでございました。
いつまでたっても光君様は御なおりになりませんでした。春がすぎ夏となって又秋をむかえても、……随分長い久しい間でございましたが、その間、私は幾度か正気のなくっていらっしゃる光君に思ってる事をうちあけて申しあげて仕舞おうかと存じましたが、それもわるい事と思う心がおさえつけてしまって居りました。私は只生れながらに一生光君さまの召使として理性の力で悲しいつらい事をたえて暮して行かなければならないものに定まって居たのだと思いきめて居りました。そしたら、今日、この悲しい、はかない事に出来《でく》わしました。私はこれも運命と存じて居ります。私の今まで思って居りました事は光君さまの御かくれと一緒に弔[#「弔」に「(ママ)」の注記]むられてしまった事でございますが、私は思った事がございますので、明らさまに恥かしさをしのんで申しあげます。女としてあまり大胆すぎる事で又あまり露骨すぎて居りましょうけれ共私は今日となって心にわだかまるかくし事のあるのは、と存じましたので……、私は、この愚な女らしくない女を人より以上に御いたわり下さいますのにすがって御心のひろい殿に申しあげたのでございます。どうぞ御ゆるし下さいまして……いつかは御わびをする時もあろうかと存じます」
斯んな風にはっきりと書いてあった。殿はなんとも云うことは出来なかった。今時の女、それにまだ二十にもならない女が大胆に自分の思って居ることを人に告げる、その事も主人の弟を思って居た事を主に告げる、あまり大胆な仕業であるが――
殿は斯う思って迷った、けれ共常からどこか毛色の変った学問の深い考のある女の事だから何か感じた事だろうと思って居た。けれ共最終の、
「いつかは御わびをする事もあろうかと存じます」
と云うのがきにかかってもしかすると書おきででもありぁしないかとさえ思った。けれ共、あの位考のある女が今死んでどう云うわけがあるかと云う事がわかって居るであろうと思って幾分かの安心は持って居た。
其の晩はもとより寝床に入ったものはなかった。外の女達はしずんだかおをして居ながら――又経をくりかえしながら退屈しのぎに時々は低い声でしゃべって居たけれ共、紅一人は持仏の室に入ったきり夜一夜かねをならし、通る細いしおらしい声で経をよんで居た。経の切れ目切れ目にはかす
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