して家の方にあるき去った。物かげの小男はなんとなくあっけないような心持でそのあとにつづいた。
 前にもました、重くるしいかなしい心持は家の中にみなぎって東の対の女達が光君のものために同じような黒い衣物を着て居るのはよけいにいたいたしかった。
 その日の晩、東の対の光君の御部屋からと云って童が一つしっかりと封じた文をもって来た。何かといぶかりながら上包をとると、
「私からうちつけに文などをさしあげましてまことに恐入りますが、私の心に同情下さいますなら御開き下さいませ、もしそうでございませんならこのまま御すて下さいませ」
と紅の手でこまかくうす墨でかいてあった。殿は好奇心にかられて中を開いた。細かく長く書いて有る、はじから順々によんで行くとこんなことが書いてあった。
「どうぞ御ゆるし下さいませこんな失礼をいたします事を。私は今までどう云う心持で暮して居ったかと申す事を御はなしいたそうと思いたちましたので……何故と云うわけは御きき下さいませんように。私はどんな身分で今までどんなかなしい事に出合ったかと申すことも御存じでいらっしゃいます。私は……まことに何な事でございますが、光君様を御したい申して居りました。けれ共、私は、その事を表にあらわしてよい事かわるい事かと申すことは、幸父からうけついだ理性ではんだんする事が出来ましてす。それで私達は今まで一寸でもそんな事を気をつけられる事もございませんでしたし又気取られるような事もいたしませんでした。その内光君様が西の対の君さまのところへ御通いあそばす様に御なりになりましてからも、その始っから私は光君の御望の叶わないと申すことは存じて居りましたけれ共、私は自分の心にひきくらべてその御苦しさを御察し申上げて二人の中をどうにでもしてと存じて西の対へもいろいろと云ってやりました。私は気の狂いそうにかなしい中に人よりも一寸でもまさった事をすると申すのがなぐさめで居りました。紫の君さまの御心づよさは光君の御心を狂わせてしまいました、私は自分の貴い玉にきずがついたように感じました。
 毎日、毎日、私は自分の命にかえてもと思って御世話申しました。光君はよく私の云う事を御きき下さいまして何でも私の手でなければ御気にめさないほどでございました。それが又どんなにうれしかったでございましょう、光君様の御体が御なおりあそばしたならこんなに御世話申しあげた事
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