で瀧子が落付いてひとに調査をたのむゆとりもないのにつけ入っているように見えた。身よりのない瀧子の二十七の女心がぐらついて、こちらに傾けばとだけつめよせて来ているのである。

 駅の構内の告知板には、日章旗と祝出征という字を赤インクで描いた紙に、川上大二郎君八月十四日、某々君同日と列記して張り出しがされた。
 夕立がすくないきびしい残暑がつづいた。息苦しいほど白く燃え乾いた午後の空気をゆすぶって、駅の方から汗まびれになった頸に筋を浮上らせて気が遠くなるように絶叫されるバンザーイの声々が響いて来る。その声々をのせて吹いて来る風は村なかの青桐の茂った梢にあたって、そこではもう秋めいた葉ずれの音を立てているのである。
 瀧子は、昼顔の花の咲いている四つ目垣のところへ張板をよせかけ、袷の赤い裏地をはっていた。近頃こうして一日うちにいられることは珍しい。いそいそとした気分で働いていると、玉蜀黍《とうもろこし》畑の蔭の近路を突ッきって、茶色と緑の縞の日傘がこっちに向って来るのが目に入った。その路は、停車場の柵沿いにすぐ畑へぬけている瀧子のすきな草深い小道である。手をとめてそっちを見ていると、暫く来て日傘がもちあげられた。その下から現れたのは、ゆき子の顔であった。庭から劈《き》って来たらしい花をハトロン紙で包んで手にもっている。ゆき子は、井戸端の小さい草堤を、親しさをあらわした大業さで、やっこら、とまたぎのぼり、
「おおかたこんなことだろうと思って、お八つをこしらえて来たわ」
 メリンス風呂敷の小重箱をさし出した。「すぐひやしといて――私もたべずに来たの」
 瀧子は白玉を冷たい井戸水の中にうつした。
 出してやった瀧子の浴衣にくつろいで白玉もたべ終り、ゆき子は最後の赤い小布が張板にのされるのをぼんやり眺めていたが、やがてちょっと改まった声で、
「ねえ、ちょっと」
 瀧子によびかけた。
「なあに」
「あなた、どうしても山口さんとこへ行く気しない?」
 いかにも意外な言いかたである。瀧子は思わず目を瞠って、
「何故そんなことを言うの、今更――」
 まじまじとゆき子の顔を打ちまもった。ゆき子は極りわるげで、わざとピンで髪をかくような顰《しか》め顔して瀧子の視線をさけつつ、
「私だってもちろん万全だと思ってはいやしないけれどね――召集されるかもしれないんだってさ」
「あのひとが?」
「今度
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