種の張合や熱中を感じて来る――そんな傾向があるのであった。論文でも、文学的作品でも、よいのが集まると、氏は、実に悦んでそのことを話した。瀧田氏のそのよろこびは、単に、雑誌の編輯者という立場からばかりでは決してなかった。氏自身、芸術鑑賞上一見識を持ってい、芸術愛好者としての純粋な亢奮が伴うのであったらしい。氏が、ジァーナリストとして他と違っていた大きな点はここにもあった。よい芸術品を得たい熱情が、編輯者としての利害と結びついた形であった。
 瀧田氏に会うのは、一年に僅か数度であったが、その時分、氏はいつも、奥ゆきのたっぷりした俥に乗って来られた。羽織、袴であった。そして、早いうちから、まだ夏になりきらないうちから、勢よく扇を使い使い話す。田中王堂氏の原稿は、書き入れ、書きなおしで御本人さえ一寸困るようだとか、多分藤村氏であった、有名な遅筆だが、(鵠沼の東屋ででもあったのだろう、)おくれて困るので出先まで追っかけて、庭越しに向い合わせの座敷をとって待つことにした。さて藤村氏の方はどんな工合に行っているかと硝子障子のところから見ると、一字書いては煙草を吹かし、考え、考え、やっと一字書いたが、
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