ほかにどんな直接の仕事があるだろうか。昨今のことだから工場へでも行くひとが多いのだとばかりも云えないであろう。
 農村の女の生活も実に辛苦に満ちていて、乳児の死亡率も多いし、トラホームなどもひどくはびこっている。経済的にゆとりのないことと、時間がないことが農村の女の向上を阻んでいるのだが、漁家の女が何とはなしその日暮しの生活の習慣に押しながされている傾きのつよいのは、漁家の生計の基礎が安定していなくて、一日一日が漁不漁に支配され、或るときは大漁と思えば次はまるで不漁という極めてむらな条件におかれているからであるのは明らかだと思う。
 いくらかまとまった金が入ったにしろ、かねての借金にそれがまわると思えば貯蓄も現実に不可能である。生活の合理化ということも、その根本は、漁村生産方法の合理化と、最低限の生活の確保ということに、漁村の女の関心が向けられなければならないのではなかろうか。漁村の女のひとは、農村の女より時間的なひまは一日のうちに沢山もっているかもしれない。けれども、経済の土台がそういう不安定であることと、女は稼業の中心に入らないというしきたりとのため、特にあとの条件のため、どことなし女として社会的な進取の態度が失われて今日まで来ていると思う。
「隣組」の実際的なねうちは、漁家のそれら様々の問題にふれてそこに何か光明をつくり出してゆくところに期待されていいのだと思う。
 大きい自然の力を対手にして人間が原始的な方法で戦わなければならないとき、そこにはいろいろの迷信や伝統が生れて来る。女子漁民道場というようなところがつくられれば、そこでは漁村の間につたえられている迷信的なものと、どのようにたたかって女の海での活動の領分が開拓されてゆくだろうかと、期待がもたれる。海女として少女から相当の年までの女が働いているところでそういう施設をつくることは、形の上では比較的たやすいだろう。しかし、そういう地方の婦人は、働きの中心に自分たちがいて来ているのだから、ただ漁夫の娘とし、妻とし、母として、朝と夕べに舟を送り出し迎えて暮しているひとたちとは気分がすっかりちがっている。千葉のように半農半漁の土地柄でも、女の稼ぎに対する敏感さは、東京に何千と隊をなして来る「千葉のおばさん」行商隊の活動にもあらわれている。そういう場合も、女の立場は或る経済上のよりどころをもっているのである。
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