、経済の点でも決して楽だとは云えないだろうと考える。私は残念ながら、詳しく漁家の経済のくみたてられかたを知らないのだが、はたで見ていても地引が空なときの寂しさは、何とも云えない。漁家の収入と云えば、不規則なものときまっているらしいが、現在では一般にどんな改良が加えられているのだろうか。
自分たちは直接海へのり出して行かないで、その結果だけ待っていて家計をやりくってゆく漁村の女の暮しが楽でないことは、大正八年に米の価が途方もなくあがったとき第一番にそれに反対したのが富山県の漁夫のおかみさん達であったことからも判断出来る。
この三四年来は、さぞ漁村からも働き盛りの男たちが留守になっているのだろうが、あとの稼業や生計はどんな工合に営まれているだろうかと考えられる。農家では、女と子供の働きが非常に動員された。ある場所では機械や牛馬の力も加えて、男のいないあとの耕地を女が働いてやっている。
海へ女がのり出して働かないという昔からの習慣は、その活動が女の体力にとって全然無理だからなのだろうか。それとも穢れをきらうというようなことに関してのしきたりで、女は海上に働かないことになっているのだろうか。男と女とがうちまじって一つ船にのって働いて、もし時化《しけ》で漂流でもした場合におこって来る複雑な問題も考えて、さけられているというわけなのだろうか。
女は自分では海へ出て働かない。このことから経済も受け身で、働く男のいなくなったときの海辺の女の暮しというものが一層思いやられるところもあるのである。
十一月号の『漁村』には、各県の漁業の合理化の方策がのせられていて、婦人に関する項目として、陸上の仕事はなるたけ婦人にさせること、日常生活の合理化を教え、衛生、育児の知識を授けること、女子漁民道場をこしらえて漁村婦女の先駆者たらしめることなどの案が示されている。そのどれもが大切なことだと思われた。
この頃でも浜の日向で網つくろいをしているのは、お爺さんたち男ばかりなのだろうか。ああいうことは女に出来る仕事と、はた目には見られる。たとえば、カニ網|梳《す》きという内職は、漁村からはなれた土地の女たちの稼ぎとなっているけれども、浜の漁師のおかみさんたちがそれをしているのは少くとも見たことがない。鰯の加工の仕事などは女が働いているが、そういう加工の仕事のないところの漁家の婦人は、魚売りの
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