に傍点]が、こういう智慧を出して逃げたのは、これが初めてではなかった。世間には、まま酷い主人があるものだ、足りないのは。
本人のいほ[#「いほ」に傍点]だけになると……煙草屋の婆は、ひそひそ訊いた。
「それで、お前さんいつ逃げ出すの?」
いほ[#「いほ」に傍点]は、そう訊かれると、埃でも入ったように目瞬きをした。
「私困っちゃうことが出来たのさ、毛布がね、取れないんだもの」
「へえ」
「毛布だってね、ただの毛布じゃないの。阿母《おっか》さんが呉れたんでね、黄色と茶色の縞でそりゃ暖いの。今あの人が掛けてるのよそれを、夜。あんなのとられちゃあ私口惜しいからね、そのうち、ばれないように巧く持って来るわ」
久しくいほ[#「いほ」に傍点]は煙草屋に来なかった。或る夕、表をかけて通るのを、婆さんはやっと呼びとめた。
「どうするのさ」
いほ[#「いほ」に傍点]は、赧くなって、気ぜわしなく毛糸襟巻の房を指に巻つけながら、鼻にかかった声で云った。
「だっておばさん……あれじゃないの、私毛布置いて来るのは厭なんだもの。……この頃随分寒いでしょ、だから。――私困っちゃうわ」
婆さんの皺が、微笑で顔
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