た。――ジェルテルスキーは、そのように押しづよい女の四つの目で見つめられる自分の口許に髭の無いことが、変に気になった程、沈黙は脅威的であった。彼は遂に、
「では兎《と》も角《かく》私の家へお伴しましょう」
と云った。
「ダーリヤ・パヴロヴナに一度都合をきいて見ませんとどうも――若し彼女にさしつかえないようだったら、勿論私共は悦んでお宿致します」
マダム・ブーキンはちらりと素早い流眄《ながしめ》をマリーナに与えた。が、気落ちしているマリーナ・イワーノヴナはそれを捕えず、ただジェルテルスキーが家へ行こうと云ったのをだけ理解したように、重々しく椅子から立ち上った。
二
数ヵ月のうちに母親になろうとする体のダーリヤ・パヴロヴナは、狭い部屋の中を悠《ゆっ》くり隅から隅へ歩いていた。レオニード・グレゴリウィッチが電車賃を節約するために勤め先と同じ区内にこの貸間を見つけたのであった。主人は請負師であったが、この男は家にいない。妻らしい女も見えなかった。階下には六畳、三畳、台所とある、日光のよくささないところに六十余の婆と六つばかりの女の児が生活していた。
往来に面した窓の外
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