、いつも熱中するとこうなんですの、そしては宅に驢馬《ろば》っていわれるんですの――ホッホホホ」
 何故この夫人ばかりは、ナデージュタ・ペトローヴナと呼ばれず、マダム・ブーキンと云うのか誰も理由を知らなかった。
 彼女は名刺にマダム・ブーキンと刷らせた。ジェルテルスキーが、上海で始めて彼女に紹介された時、彼女は、何か特種な称号でも云うように、
「ええ、私マダム・ブーキンと申しますの、どうぞよろしく」
と紅をさした頬で微笑《わら》った。髪の黒い、黒い眼のキラキラした痩せぎすの彼女にとって、マダム・ブーキンというのは頬に紅をさすのと同じに、一つの趣味に過ぎないのだろう。ジェルテルスキーは、蒲田でこの夫人の若い愛人になったことがあった。――撮映されたのだ。――
 非常に豊富な間投詞と詠歎との間からジェルテルスキーが得た知識は、マリーナ・イワーノヴナが、夫のエーゴル・マクシモヴィッチと激しい夫婦喧嘩をしたこと、その原因はエーゴル・マクシモヴィッチがマリーナから借りて返さない三百円の金にあること、もう二度と帰らない決心で家を飛び出して来たと云う事実であった。
「もう絶望のどん底で私のところへ今朝い
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