をしていたのだ。産科医の注意で、彼女は一日のうちに幾度かそうやって、かけていれば立って歩く、たっていればかける、或は体を長くのばして横わる。いろいろ姿勢をかえる必要があるのであった。それが書き物机にもなるし食卓にもなる机から布をかたづけているうちに、ダーリヤは少し疲れを覚えた。頬杖をつく。――風が吹きすぎる毎に思わず顰《しか》め顔をしながら外の景色を眺める。バラックのスレートの屋根屋根、その彼方に突立つ葉のない巨大なる焼棒杭《やけぼっくい》のような樹木。……遠くの物干へ女が出て来て、真白なシイツらしい布を乾した。女は去る。風が吹く。白い洗濯物は気違いのようにはためいた。曇った空とその砂塵の中で真白い一枚の布は何かを感じているように動く。ダーリヤ・パヴロヴナは、ぼんやりした一種の物思いに捕われた。それは悲しみではないし、苦しみとまで鋭いものでもない。何か広い、果しない、目的の定まらないものの中に混りこみ、生きている自分達――そんな感じだ。いろいろな場所で種々な習慣言葉を持つ民衆の中に生活して来たダーリヤは、東京で、不便な言葉で、その上きりつめて暮さなければならないことに驚きはしなかった。
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