―何してるんだか――なに、この家だって、第一変てこれんな洋館まがいになんかしないで、小気の利いた日本間にしといて御覧、いくらバラックだって、この界隈のこったもの、女一人位のいい借り手がつくのさ。――仕様がありゃしない、半年も札下げとくの、第一外聞が悪いやね」
「だって書生さんなんかより異人さんの方がよかないの、金廻りがいいそうだもの」
 せきは、
「どうして!」
と、顔じゅう顰めて首を振った。
「とてもだよ。出たり入ったりにうめの顔飽きる程見てたって、キャラメル一つ買って来るじゃないからね」
 間をおき、更に云った。
「第一、気心が知れやしない」
 志津は、
「ほーら、そろそろおばあさんの第一[#「第一」に傍点]が始まった」と笑った。
「本当だよ、嘘だと思ったら見て御覧、我々なら大抵まあその人の眼つきを見りゃ、腹で何思ってるか位、凡《およ》その見当はつくじゃないか。二階の異人さん、こないだも私、どんな気でいるのかさぐってやれと思って、台所へ水汲みに来た時、世間話してやったのさ。喋りながら一生懸命眼を見てやるんだが――困ったねあのときばかりゃ、お前ただ変てこりんに碧いばっかりでさ――本当に――余り碧いんでおしまいにゃ気味が悪くなって引下っちゃった」
「ふふふふ、おかしなおばあさん、二階で嚏《くしゃみ》してるわよ、今頃」
 凝《じ》っと二人の話をきいていたうめが、その時、いかにもませた調子で、
「ちょっと! 来ますよ」
と警告した。成程、誰かが階子を一段ずつ念入りに降りて来る跫音《あしおと》がする。志津は、一寸肩をすくめるようにして舌を出す真似をした。
「ふふふふ……」
 婆さんも釣込まれて薄笑いしながら、新しい煙草をつめ始めた。うめは、障子の隙間から板敷を覗いている。その後姿を見、志津はやがて、
「あーあ」
 小さい欠伸《あくび》をしながら、
「もう何時?」
と云った。
「日が短い最中だね、四時一寸廻った頃だろう」
 うめが、二人の前に顔をさしつけて、
「女の異人さんですよ、よその」
と云った。が、誰も答えず、志津が、立ち上って腰紐を締めなおしながら、
「どう、おばあさんお鮨《すし》でもおごろうじゃあないの」
と云った。せきは、上の空で、
「そうさねえ」
と応じながら、熱心に志津の八反の着物や、藤紫の半襟を下から見上げた。
「――その着物、さらだね」
「おばあさんにゃ、十度目でもさらだから始末がいいわ――ね、本当にどうする? 私これからかえったって仕様がないから、冷たくってよかったらお鮨でも食べようじゃないの」
「いつもお前にばっかり散財かけてすまないようだね」
「水臭いの。――じゃ一寸云って来るわよ」
 ごたごた、主のない下駄まで並んでいる上り口で、自分の草履をはきながら、志津は珍らしそうに、そこにぬいである女靴を眺めた。
「まあ、細い靴、よくあの体でこんな靴はけるもんね」
「子供んちから締めてあるのさ――見かけばかりでは仕様がありゃしないよ」
 せきは、軽蔑するように囁いた。
「はばかりから出ても手を洗うこと一つ知らないんだからね」
「――……いい塩梅に風が落ちた……」襟巻をきゅっと引きつけ志津は街燈のついた往来へ出て行った。

        四

 明るい冬の日光が窓からさし込んで室内に流れた。土曜日だ。もう往来で遊んでいる子供の声が、彼等の二階まで聞えた。ダーリヤ・パヴロヴナはゆったり長い膝の上に布をたぐめて、縁とりをしている。向い側に、髪をもしゃもしゃにしたままのマリーナ・イワーノヴナが茶色のスウェタアに包まれ、頬杖をついてダーリヤの指先の動きを眺めていた。彼女の前に、白と桃色の毛糸で編みかけの嬰児帽が放り出してある。彼女がこの二階に来てから五日経った。ダーリヤも、マリーナも、その五日を実にはっきり数えて過して来たのだ。――
「アーニャ、何ぐずぐずしているんだろう」
 マリーナが、その日何度目かにぶつぶつ云い出した。
「あの娘《こ》には、どんなに教えたって物を手取早くするということが解らないんだから――エーゴルの姪に違いないわ」
 ダーリヤは落付いた調子で答えた。
「子供ですものまだ何と云ったって――でも本当に年より役に立っていますわ」
 マリーナは朝から、養女のアーニャが麻布の夫の家から使に来るのを待っているのであった。
「私に充分正当の理由のある衝突でこうやっているのに、顧客《とくい》まで失くしちゃいられないわ、ねえ」
 彼女は、自分のところへ来た注文はどんな小さいものでも、洩れなくアーニャにダーリヤの二階まで運ばせた。彼等夫婦の間には他人の理解出来ない特別の諒解があると見え、そんな持続的の喧嘩をしつつ、エーゴル・マクシモヴィッチの方も、妻の稼ぎに対しては咳払い一つしないらしかった。そんなことは、ダーリヤの常識に
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