らっしったんですの、一緒に泣いてしまいましたわ。ねえ、マリーナ・イワーノヴナ、私も女ですよ、あなたの辛いお心がひとごととは思えませんわ。――それでね、レオニード・グレゴリーウィッチ、お願いと申しますのはね、あなた当分、この不幸な方を保護して上げて下さいませんこと?」
 ジェルテルスキーは、咽喉仏《のどぼとけ》を引き下げるようにして低い声で答えた。
「私の力にかなうことなら悦《よろこ》んでお力になります」
 が、そう云い終ると同時に、彼の艶のない白っぽい眉毛の生えた額際を我にもあらず薄赧くした。たった一間しかない住居のこと、彼の衣嚢《ポケット》にある一枚の十円札のことなどが、瞬間彼の頭を掠めたのであった。
 彼が赧くなると、マダム・ブーキンも一寸上気しながら、大仰に吐息をついた。
「私、出来ることなら切角来て下すったんですもの、家へ幾日でもいていただきたいと思いますわ。どんなにまた仕合せにおなりになるまで、傍にいて慰めてお上げしたいでしょう。――でも……」
 マダム・ブーキンは若い娘のような身振りで膝の上に擦れた手提袋の紐を引っぱった。
「ああ、みんな元のようではないんですものね、それに私のところには小さいものもいますし――」
 ジェルテルスキーは、これまで下手にばかり自分の身を置いてつき合って来た二人の年長の女たちの間に挾まれ、進退|谷《きわ》まった。彼は、二人のどちらにも、世話と云えば世話になったことがあるのであった。マダム・ブーキンは彼女の映画会社へ、餓死しそうになっていた彼を紹介して呉れた。マリーナ・イワーノヴナは夫婦とも裁縫師で、ジェルテルスキーは妻のための内職を、マリーナ・イワーノヴナのところから貰って来ていた。今もいる。――恐らく彼が、片手でルパシカの胸を抱え、右手で頻りに金髪を撫でつつ、決心しかねている今の瞬間、若いダーシェンカは、手ミシンを廻しながら、子供服の袖でもつけているであろう。
 マリーナ・イワーノヴナは、殆ど一口も物を云わないでかけていた。物を云ったら太った体じゅうの悲しみと絶望が爆発するのを恐れて唇を結んでいるようであった。ただ、目をはなさずジェルテルスキーの顔を見守った。何とつよく見ることだ。充血した二つの目と蒼黄色く荒れた二つの頬とで、彼女は答を待っている。――マダム・ブーキンもすべて云うだけの事は云ってしまった。そして、彼の口許を見
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