感動した。最後の※[#より、1−2−25][#「※」に傍点]まで指して貰うと(尤もこのより[#「より」に傍点]だけはジェルテルスキーの日本語の知識でも判読出来ず、トヨ子の自署の一種だろうと説明したのだが)ステパンは、幾度も幾度もその手紙に唇を押しつけ、再び自分の内衣嚢にしまった。そして、やはり囁き声で、ジェルテルスキーの耳の中へ云った。
「レオニード・グレゴリウィッチ、どうぞこのことだけは誰にも云わないで下さい。――実に馬鹿気たことだ。私のようなこんな男が今更若い娘に夢中になるなんて――実に馬鹿気たことです! けれども、レオニード・グレゴリウィッチ、我々は、キリストを追放しつつレーニンの肖像を祭る。私にもマドンナがいる――マドンナ……ね、貴下は私の心がわかって下さる」
 ジェルテルスキーは、自分にぴったり喰いついて熱心に光っているステパンの眼をさけるようにして頷き、境の障子をあけた。彼はステパンをどう扱ってよいか決心がつかず、いつも自分が彼とは全くかけはなれた者だと対手に思わせるような態度をとるのであった。
 寝る前、マリーナが厠《かわや》へ降りた間にダーリヤはレオニードを擁き、云った。
「リョーニャ、月曜日に行けたらエーゴル・マクシモヴィッチのところへ行ってらっしゃいよ、ね?」

        七

 ジェルテルスキーの二階から、ギターとマンドリンの合奏が聞えている。マリーナは、寝台の上で膝に肱をつきその手で頭を支えながら、陰気にマンドリンを弾くエーゴル・マクシモヴィッチを眺めていた。卓子は室の中央へ引出されて、上にパンや、腸詰、イクラを盛った皿が出ていた。底にぽっちり葡萄酒の入っている醤油の一升瓶がじかに傍の畳へ置いてある。ルイコフが、彼のマンドリンと一緒に下げて来たものだ。ルイコフとマリーナはさっき大論判をしたところであった。栗色の髪の薄禿げた、キーキー声を出すエーゴルは、ジェルテルスキーの言葉で、妻を迎えに来たのであった。
「レオニード・グレゴリウィッチにもお気の毒だから、一先ずお帰り、――これこの通り、騙《だま》しゃしない、半分だけ兎に角かえして置くから」
 エーゴルはジェルテルスキー夫婦の前で卓子の端から端へ十円札を十五枚並べた。
「いやです、あんたのてですよ、誰がだまされるもんか、これだけで、あと半分はふいにしようと云うんです」
「返す、きっと来月中
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