の悪い曖昧な笑いを浮べてちらりと妻の方を見た。マリーナが忽ちそれを捕えた。
「え? 何ですって? ステパン・ステパノヴィッチ、古いキャベジがいるからお茶が不味《まず》かったんですって?」
「まるで反対です、美しい夫人がたとこの幸福な御家庭に祝福あれと云ったのです。然し、神はこの頃の流行でないから小さい声で云わなければなりません」
 ステパン・ステパノヴィッチは暫くもずもずしていたが、軈てジェルテルスキーを引っぱって台所へ入って行った。
「何だろう、え? 何だろう」
 立って覗きそうにするマリーナを、ダーリヤは苦々しげに止めた。
「あとで、リョーニャが話してくれますよ」
 障子の彼方側の板の間で、石油鑵に足をぶつけながら、ひどく恐縮してステパンが上衣の内|衣嚢《かくし》から一通の手紙を大事そうにとり出した。彼は、ジェルテルスキーの耳に口をつけて囁《ささや》いた。
「――実に恐縮です、実に厚かましい願いですが、今朝この手紙を受けとったまま悲しいことに読めません。貴下にすがって一つ読んでいただくわけには行きますまいか」
 ジェルテルスキーは、意外な秘密に引きこまれる苦笑を洩しながら手を出した。封筒は桃色で四つ葉のクローヴァの模様が緑色で浮き出している。ジェルテルスキーはその模様を指した。ステパンは髭面を動かして頷《うなず》く。……中に、ステパンの会話の力で判断してだろう、片仮名で、
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「オナツカシキペテロフサマ、
ソノゴオカワリモアリマセンカ、ユウベ、マテイタノニキテクダサイマセン、ナゼデスカ、シドイシト、ワタシノココロモシラナイデ。アナタ、ホントニアタシガカワイイナラ、コノテガミツキシダイ、ヨルノ七時マデニ、イツモノトコロヘキテチョウダイ、キット、キットヨ、デワ サヨナラ
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    コイシキコイシキ
[#地から6字上げ]ペテロフサマ シブヤにて
[#地から2字上げ]アナタノトヨ子※[#より、1−2−25]」
 それは、いかにも滅多に手紙など書く必要のない女の字であった。それも長いことかかってひどい万年筆で書いたと見え、桃色の、やはり四つ葉のクローヴァのついた書簡箋が、ところどころ皺になってさえいる。ジェルテルスキーの読む間、心配を面に表わして待っていたステパンは、愈々《いよいよ》一字一字意味を説明されると、見るも気の毒なほど
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