ないのではないだろうか。順二郎の懐疑は社会の矛盾や対立の関係に対する理解が深まるにつれて、反動的にこの点で深まって来るのであった。利害の対立で社会が苦しんでいるならば、更にそれを強調して見たところで、どうして心の解決があるのだろう、と順二郎は、歴史を後がえりさせて抽象の世界へ迷い込むのであった。この模糊として光明のない境地へ歩み込んでしまうと友達は勿論彼にとって親密な姉の宏子さえも、順二郎にとっては別の世界で自分の道を歩いて行く人としか思えないのであった。
純な[#「純な」に傍点]わが息子の、ふっくりとした若い面ざしの上に、このような凄まじい色が漲ることを、ただの一度だって瑛子は思い及んでいなかったであろう。暗鬱な、内部圧迫が高度に達した容貌で、順二郎は暫く季節はずれの南風に吹きあおられている庭の竹藪を眺めていた。
部屋へ戻って、順二郎はきっちりと制服を着た。
「母様、僕ちょっと田沢さんところへ行って話して来る。よくって?」
宏子は、彼に、順ちゃんあなた田沢さんの真似なんかしちゃ大変よ、と寮にかえる前の晩云った。田沢さんの血はひやっこい。順ちゃんの血は重くて、熱いんだもの。真似し
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