置いときゃいいじゃないか」
怒ってるような姉の声に順二郎は黙っている。
「――田沢さんたら、千鶴子さんに、お前と結婚さえしていなかったら奥さんと結婚したのになんて云うもんだから、この頃は田沢さんが出かけようとすると、泣いて格子に鍵をかけたりするんだってさ。――どうしてそんな夢中になれるんだろうね。私なんかとてもそんな気持にはなれないがねえ……」
そう云っている瑛子の眼と声の艶とは、それ等の言葉を全く裏切って、熱っぽい興味と亢奮と、宏子が知りつくしている独特の成熟したエネルギッシュな光彩を放っているのである。それらの言葉と顔付との間には瑛子が自覚していない貪婪なものが潜められていて、宏子は思わず母の手の上に自分の手をおいて、
「ねえ、母様、母様も少しは小説を読んでいる方《かた》なんだからね」
と、低い呻くような響で云った。
「そんな風に話すのおよしなさいよ、ね――何故嘘つくのよ!」
瑛子は心外らしく顔付をかえて大きい声で云った。
「いつ私が嘘をつきました――嘘は大嫌だよ」
「だってそうじゃありませんか。そんな気持になれないなんて――母様が……」
宏子は、弟がいるので意味深長な、鋭
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