来てしずかに頬っぺたを顎の方へ流れた。それは、鹹《から》い、冷たい二筋の涙であった。
 勇蔵たちのごまかしだらけの夫婦の生きかたも、彼等の社会的地位にかかわらず瑛子の心に軽蔑をよび起した。自分たち夫婦の生活、これまた何であろう。そして、女には法律上の権利さえ十分に与えられていない。その絆にしばりつけられて、終に自分の女としての一生は空費されなければならないのだろうか。自分はそれを望んでいるだろうか。決して望んでいない! 望んではいない! 瑛子の心の中には足ずりをするような絶叫がある。その絶叫の端に、二十九歳の田沢の俤が浮んでいた。彼は多血性な泰造とはまるで反対な骨格と皮膚をもっていた。瘠せ形でどちらかというと蒼い田沢の青年の顔が、瑛子の大柄な、既に衰えをあらわしながらなお豊満で芳しい全存在をひっぱりよせるように招くのである。
 瑛子はいつしか自分の思いのうちにとらわれて、永い間沢山の涙をハンケチに吸わして泣いた。

        五

 学校内の空気は、不安を含んで動揺しながら、はる子がそれを予想していたように急速な一般の変化はおこらなかった。二学期の試験が迫っていたこともある。そこ
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