妻としんみり話そうとする何の問題も感じて来ていない。泰造にはそういう味のある深みがないと焦立たしいのであった。瑛子には特に井上が、加賀山にもこんな頭の悪い奴が出るんだねと、さわ子を評して云った言葉が忘られなかった。若い嫁であった自分を苦しめた、かたくなな姑の伊勢子の顔がまざまざと甦った。あの血が或る時の泰造にもやっぱり流れている。そして、子供らの中にも恐らく不可抗的に流れこんでいるだろう。それで苦しむのは自分だけである。そして、そんな良人を持ちたいと、そんな子供を生みたいと、女としての自分がいつ願ったことがあるだろう!
生活に対する瑛子の怨恨はいつもここまで遡った。揺蕩たる雰囲気に包まれて書かれ、語られる新婚の生活も、瑛子の現実ではまるで違ったものであった。恋をせずに母とならされて来た一人の女の情熱と肉感とが、成熟の頂点、将に老年が迫ろうとする隠微な一生の季節、最後の青春の満潮時である今、猛然と瑛子をいためつけるのであった。
いけてあった火鉢の火をかき立てて、自分用の九谷の湯呑に注いだ茶を飲みながら、凝っとテーブルの一点に据えている瑛子の睫毛の濃やかな眼から、一滴ずつの涙があふれて
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