蒼ずんで来ている顎のよく発達した顔へ苦笑いで云った。
「嫂さんにあっちゃかなわない。しかし日本の法律は御方便なもんでね。例えば財産についての告訴にしたって夫からは出来るが妻からは出来ない。――じたばたすれば結局損をするのは女なんだから、おとなしく母親として満足していればいいのさ」
「そういう男ばっかりだから、私は腹が立つ。損をしたって、人間はあなたのように損得だけで生きてやしないんだから。私がおさわさんで、あなたが妙なことをしようものなら、愚図愚図泣いてなんかいやしないから!」
 瑛子は肌理の美しい頬っぺたに血の色をのぼらして云った。
 井上は、瑛子が手洗に立った時後について、贅沢な蝶貝入りの朝鮮小箪笥などが飾ってある廊下まで出て来た。そして瑛子の常識に訴えるように云った。
「何しろああいう有様だから、万一子供たちをゾロゾロつれて、あの年で妙なことでもされると困る。一つよろしく願いますよ」
「それもあなたの体面[#「あなたの体面」に傍点]上でしょう。――」
 瑛子は井上の眉目秀麗な中年の豊かな顔から胸へ穿鑿する視線を流しながら、声を落して辛辣に囁いた。
「あなたもいいかげんにするもんで
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