すよ。母親が母親だからなんて――揚ちゃんが赤坊の時分、耳の後がただれてつかなかったのは誰のせいだか分っていらっしゃる筈じゃありませんか」
井上が自分で洋盃を取り揃えて食堂から運んで来て葡萄酒などが出され、最後には、若しこの次何かがあれば加賀山も何とか動くという、謂わば気休めで夫婦は帰途についたのであった。
その明け方は、通夜からでも帰った時のようであった。外は真暗な寒い座敷で、眩しく電燈を反射させる鏡の面にワイシャツを真白く映しながら泰造が着換えをしている。こちらの小座敷でひろげた花莚の上へ、気むずかしげなのろい動作で、瑛子が帯止めを解きすて、帯あげをほどき、帯をたぐめて置いている。
泰造は手早く歯をみがいて来ると、小座敷の方へ、
「先へ寝るよ」
声をかけただけで、活動的な跫音を響かせながら二階へあがってしまった。
その日泰造は或る大銀行の経営のことでそこの理事会と衝突した。新たに入った理事が自分の縁故を推薦していて、泰造に顧問格になってくれと云うのであった。泰造はそれは不可能であると拒絶した。新しく推薦されている人に、理事会の意見が一致しているならば全部委せたらよかろうと云
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