利く女中は片端から出してしまったりして来客に対してさえ世間並の接待が出来かねる、客は一切よそですることにしたと云い渡した。それが去年ごろのことである。高輪の海を見晴す芝生のある家は四人の子供らと、それ以来益々感情をもつれさせたさわ子との生活場所となり、主人の勇蔵は夜から朝までをここで暮していた。一昨日の午後高島屋から大森、井上様とした女物のお召が届いた。それは、さわ子の注文したものでもなかったし、惣領娘の柄でもなかった。一見花柳界好みの品であった。それが、今夜加賀山夫婦に徹夜をさせる原因となった。
 さわ子は、泣く涙はもう流し切って半ば引攣ったような眼を勇蔵に据え、激しい愛着が体の顫える程の憎らしさにかわっている声で、
「さあ、兄さんや嫂さんが来たんだからのがしゃしません。何処にその女をかこったんです」
とむきだしに迫った。
「どうもこれなんだから困る」
 勇蔵は、敏活な表情の上に当惑の色を浮べているだけで、極めて平静にゆとりをもって加賀山夫婦を顧みた。
「だから云ってきかした通りさ。東京に井上という苗字の家は何百軒かある。電話帳を見なさい。くさる程ある。それが偶然間違ったからって、俺
前へ 次へ
全75ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング