そう思うならって、今更おさわさんを戻されたらあなたどうなさいます?――私は御免ですよ」
その晩、十二時時分になって白金の井上から電話がかかった。夫婦の間がもめて細君のさわ子がどうしても兄さん達に話をきいて貰うと云って手に負えないからと、勇蔵自身が電話口に立って、当惑を音声の響に現した。
何しろ子供たちまで皆寝かさないでいる有様だもんだから、と如何にも自身の社会的な地位に対しても笑止げに云った。勇蔵は日本で屈指な生命保険会社の常務その他をやっていた。
瑛子はくたびれて引きあげて来る途々、りゅうとした大島の揃いをちっとも引立たせず衿元などじじむさく着て、顔を充血させ、むくんだように見えたさわ子のみっともない様子を思い起した。どこから見ても粋な身じんまくのよさで、髪を真中からキッチリとわけている世間で美男という勇蔵の遣りてらしい風貌と、何というはげしい対照だろう。
この夫妻の悶着は今にはじまったことではなかった。勇蔵の容貌と職業と地位とは、さわ子と結婚してからこれまでの二十年間にも度々細君の嫉妬を刺戟した。今度の諍いは是迄より一層深刻であり性質も重大であった。自宅ではさわ子が少し気の
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