た。
 水曜日の昼休みに校長の沼田が特別に学生たちを講堂に集めて学生の本分に就て訓話のようなことをやった。沼田は地味な束髪にセルロイドの櫛をさしたいつもの姿で、大講壇のところに立ち、声に力をこめようとする毎に、皮膚の薄い小さいままに萎んだ気力のとぼしい下顎を震わした。四方八方ひたすら事なかれとばかり気を使っている。その気づかいが体にいっぱいであった。その年は、男子の学校ばかりでなく、女子の専門学校にも紛擾があった年である。三々五々講堂から立ち去る時の大部分の学生の顔には或る焦立たしさ、語られない軽蔑の色があった。
 宏子が下を向いて、靴の先で砂利を蹴りながら中庭を来かかると、追いつきながら、
「加賀山さん」
 声をかけたのはふだん余り親密でもない塚元であった。塚元は、ひそめた声で、
「ねえ、どうなるんでしょう、私心配だわ」
と四辺を憚るように云った。
「何か始まるんじゃないのかしら?」
「――どうしてそんなこと私にきくの?」
 宏子は訝《いぶか》しそうな観察的な目をした。
「あなたのわかっていることしか知りゃしないわ」
「私困っちゃう。――私実は皆さんと違う境遇なの。私の学費は伯父が出
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