。光りの消えた砂浜を小急ぎに、父を真中にやって来ると、白斑《しろぶち》の犬が一匹船の横から出て来た。
「こい、こい」
 晴子が手を出すと、尾を振りながら跟《つ》いて来た。
「何だお前の名は――ポチか? え?」
 そして、父が短い口笛で愛想した。
「ポチかもしれないわ。なんだかポチ的表情よ平凡で」
 浜は遠い箱根の裾までひろがっているのに見渡す限り人影もない。犬も淋しそうであった。頻りに尾を振り、前になり、後になり、真白な泡になってサーと足許に迫って来る潮を一向恐れず元気に汀を走るのが海辺の犬らしかった。父がやがて、
「気をつけなさい。狂犬だといけないよ」と注意した。
 晴子が、
「狂犬だって!」
と、大笑いに笑って、一層犬に来い、来い、した。
「狂犬じゃないわ、お父様これ」
「舌出してないから大丈夫よ」
「あら狂犬て舌出すの?」
「ああ。晴子みたいに」
「ひどい!」
 散々晴子や佐和子とじゃれ、斑犬は今父の靴の踵にくっついた。父は風呂敷包みを下げている。中に鶏肉が入っていた。歩くにつれて包みを振る手が前、後、前、後。それにつれて斑犬もひょいと駈け、鼻面を引こめ、またひょいと駈け跟いて来
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