から馳け去ってしまった。
フランツは、ぼつり独りで、頭を垂れ、列を脱れて日暮の路を帰った。
その晩、フランツは生れて始めて、しげしげと鏡で自分の顔を見た。娘の云ったのは嘘でなかった。
床に入ったが、寝つくどころではなかった。彼には自分というものが、まるで解らなくなってしまった。
屋根部屋の窓から光が差して、寝台の裾から床に蒼白い月光の湖を作っていた。時々、黒い木の小枝や葉の影がちらちらする。フランツは、寝鎮った夜の裡で、沁々考えると、何ともいえない陰鬱な恐怖に襲われた。自分の前途には何が待っているのだろう。
神は、思いも設けない時計屋の子の自分にこんな特別な相貌を与え、神の子を顕させようとするのか。または、本当に恐ろしい悪魔の力が自分に悪戯したのだろうか。
フランツは、寝床を出て、水のような光りにさらされている木のむき出しの床に跪いて永いこと祈った。寥しい、胸の引きしめられる苦しさが起って、彼は涙を流した。
もう到底平気で父に貰った聖画の基督を見ることは出来なくなった。万聖節の晩、父親が何故あの絵の傍に自分を立たせたか解るとともに、その記憶は、彼に、いくら十字を切っても切
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