ら、私にとってまことに興味ある一文に出会いました。
それは、明治四十二年三月二十日の日記です。漱石は「二葉亭露西亜で結核になる。帰国の承諾を得た所経過宜しからず入院の由を聞く。気の毒千万也。大阪朝日十万円で社を新築すと素川よりきく。妻が寅彦の所へ餞別をもつて行く。シャツ、ヅボン下、鰻の罐詰、茶、海苔等なり。電話にて春陽堂へ『文学論評』の送付(例により三十部)を促がす。売切の由答あり。二十五六日頃再版出来のよし」などと文化史的な興味深い記述の最後に「八重子『鳩公の話』といふ小説をよこす。出来よろし。虚子に送附」と書かれている。
ホトトギスに、その小説は掲載されたのであったでしょう。発信というところに、八重子とあるから、そういう点では責任をはっきりさせる性質であった漱石は、その日のうちに返事や原稿の所置について手紙を書いたものと思われます。
この「鳩公の話」は、あなたの作品年表にとって、どの時期に属すものでしょう。所謂処女作と呼ばれてよいものなのでしょうか。この作品の書かれた時から数えれば、既に二十七年間に及ぶ作家生活の閲歴が「黒い行列」の背後に横わっていることを私達は知ります。
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