いう境地に種々の問題があるように、映画にしても考え直さるべきところがある。
文化映画の将来性、ニュース映画の豊富性、いずれも今日の文化の大きい内容を占めるものであるが、文化映画統制委員会というところは、文化映画の目安をどのようなところにおくのであろうか、これも映画を観るものにとって知りたいことである。映画製作が、種別に統制されるという企画は、日本が初めてではない。既に永年その方法でやられているところがある。やはり知りたいのは、その企画における文化としての質と量との比重であろう。
あらゆる面からそのおもしろさを求める点においても、映画を見るものに益々人間らしい人生的な判断の必要が増して来ているにほかならないと思うのである。[#地付き]〔一九三九年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「三田新聞」
1939(昭和14)年2月25日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2
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