れてゆくことは一見相互的な活況のようであるが、その実微妙な本質の部分で、却って今日の文化の消極の面が働いているかもしれないのである。文芸映画をつくる人々と観る人々とは、その重大な点をどのように考え又感じ、押してゆこうとしているのであろうかと関心がもたれるのである。こういう点について、私たちは単に観せられる人々であってはなるまいと思う。
優秀な日本映画が高い水準を示しつつあると云いながらも、その幾つかの峰と、文化以前のところにまで長く暗く重くそして広く引きずられているその裾の部分との間には、何と深い社会生活の姿が浮き上っていることだろう。労働能力だけは現代最新技術に適応して訓練されているが、文化面では渾沌におかれている夥しい数の青年男女が彼等と彼女たちの僅かの時間と金銭とを、嬉々としておどろくような情熱をもって映画に投じている。高杉早苗の新婚旅行の首途に偶然行きあわせたと云って、翌朝は工場のストーブのかげで互に抱き合い泣かんばかりに感激する娘たちの青春に向って、その境遇さながら、最もおくれた感情内容を最新の経済と科学の技術で結び合わした情熱の消耗品がうりだされている現実である。
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