へんさかい辛うおまっしゃろとは思っとりますわな。
けど、あんまりどっせ、
わざと私が病んどる様に云うてなはるんやから。三度のものを一度にしても、実家《うち》ほどええとこあらへんと、しみじみ思いまっせ。
[#ここで字下げ終わり]
いろいろ下らん事で心配をかけてすまないとか、ほんとに不孝な子を持った因果とあきらめてくれ、などと涙声で云われると、却って栄蔵の方が、云い訳けをしたい様な気持になった。
十円といくらかの銭ほかない貧乏親父をこんなにたよりにして、どうする気なんだろうとも思った。
火ともし頃になって恭二と良吉が局から空弁当を下げて帰るまで枕元に座ったっきり栄蔵はお君のそばをはなれなかった。
良吉は、飯《めし》の時に新らしい魚をつけろの、好い酒を燗しろのと云って居たけれ共、長火鉢の傍にそろった四つの膳は至極淋しいもので「鰤」の照焼に、盛りっきりの豆腐汁があるばかりであった。
小盆の上に「粥《かゆ》」と「梅びしお」といり卵の乗ったお君の食事を見て栄蔵は、あの卵は今日だけなんだろうなどと思った。
良吉は、油っ濃くでくでくに肥って、抜け上った額が熱い汁を吸う度《たん》びに赤くなって行った。
義太夫語りの様なゼイゼイした太い声を出して、何ぞと云っては、
[#ここから1字下げ]
「ウハハハハ
[#ここで字下げ終わり]
と豪傑を気取り、勿体をつけて、ゆすりあげて笑った。
色の小白い、眼の赤味立った、細い体を膳の上にのしかけて、せっせと飯を掻込《かっこ》んで居る恭二のピクピクする「こめかみ」や条をつけた様な頸足しを見て居るうちに、栄蔵の心には、一種の、今までに経験しなかった愛情が湧き上った。
白い飯を少しずつかみしめながら、自分の娘の夫《おっと》の若い男の様子を静かに、満足らしくながめて居た。
恭二の人物がいいと云うのではなし、どこがどう可愛いと云うのではないけれど、何とも云うに云われぬ、なつかしみを感じた。
少しばかりの菜でそう長飯しの出来る筈もなく、じきにコソコソと食事が片づくと話が局の事に渡った。
この不景気で近々人減しがあるので随分惨目なものが多いと良吉が云うと、お金は、すぐその言葉じりをとって、
[#ここから1字下げ]
「けどまあ、『うちの人』や恭二なんかは、永年お役に立ってるって云うので、そんな心配のいらない有難い身分なんですがねえ、そんな人達は、ほんとに気の毒でさあね。
会計の方じゃあ、まあ、おとつあんが居なけりゃあと云われるし、取り締りの方では、恭二が年の割りに立てられて居るんだしするから……
[#ここで字下げ終わり]
良吉は、
[#ここから1字下げ]
「広告はよせよ、
おい、良《い》い加減にしなきゃあ、兄さんがあてられるぜ。
[#ここで字下げ終わり]
と云いながら、お金に油をさし、いよいよ滑らかになる女房の舌の働きに感心して居た。
専売局に、朝から晩まで働いて家の暮しを立てて居た。
今年二十三になる恭二にはまだ独立するだけのものは取れなかった。
体は弱し、中学を出たきりなので、これぞと云う働きもない男に、そう十分なだけのものをくれる慈善家はこの世智辛い世の中には居ない。
恭二は静岡の魚問屋の坊ちゃんで、倉の陰で子守相手に「塵かくし」ばかり仕て居たほど気の弱い頭の鉢の開いた様な子だったが十九の年、中学を出ると一緒に、良吉の家へ養子になった。
良吉の妹が口を利いたので、母親がほんとでありながら、愛されて居なかったので、父親の意志で、恭二は良吉の後継者と云う事になった。
十九にもなったものを只食わしては置けないと云うので、あらんかぎりの努力をして漸《ようよ》う専売局の極く極く下の皆の取り締りにしてもらったのは、良吉のひどい骨折りであった。
免職されない代り、目立ってもらうものが増えもしない。
何をしても要領を得ない様な、飄箪□□[#「□□」に「(二字分空白)」の注記]なので、とげとげしたものの間を滑りまわるには却って捕えどころがなくて無事であった。
お金が口を酸くして、勝手な熱を吹いて居る間に恭二はいつの間にか隣りの部屋に行ってしまって居た。それに気のついたお金は眉をぴりっとさせて、
[#ここから1字下げ]
「又、隣りに入ってる。
何ぼ何だって、あんまりだらしがなさすぎる、
ひまさえあればべたくたしてさ――
[#ここで字下げ終わり]
と云ってプッつり話をやめてしまった。
良吉は只、ニヤニヤして居る。
金にきたないくせに「やきもち」まで焼くのかと思うと栄蔵は、憎らしい気持が倍にもなって来た。
しばらくだまり返って居たお金は、ややしばらく立ってから、真剣にお君の事についての相談をもち出してきた。
お金は良吉でさえびっくりする様な、明細な小使町[#「町」に「(ママ)」の注記]を、お君のために作って居た。
いつなおると云うあてもない病人にかかる金の予算はもとより立たないけれ共、月に一週間の入院料、前後のこまこました物入り、薬代などのために、月二十円は余分に入るとお金は云った。
栄蔵は、身内の事だからそうそう角だった事を云わずに、嫁だと思って、出来るだけの事をしてくれと云った。
[#ここから1字下げ]
「そうですよ、勿論。
私は何も、一文も出さないと云うのじゃあなし、勘定書を書いて、はいおはらい下さいとも云いやしませんさ。
けど、私だってよそに来て居るのに、先の様に用立てて居る上に又、あんまりぽんぽん血の様な金をつかっても居られないじゃあありませんかい。
あれだって、私は一度だって、返して下さいなんて云った事はないじゃあありませんか。
[#ここで字下げ終わり]
そう云われれば栄蔵の返す言葉がなかった。
去年の中頃に、お節が長病いをした時、貸りてまだ返さずにある十円ばかりの金の事を云い出されては、口惜しいけれど、それでもとは云われなかった。
自分が、それを返す余地がないと知って、余計に見込んで苦しめる様な事をするお金も堪らなく憎らしかった。
話下手な栄蔵は、お金などを云いくるめる舌はとうていないので、否応なしに、お金がやめるまで、じいっとして聞いて居なければならなかった。
話の一段落がつくと、安息所へ逃げ込む様に栄蔵はお君の傍に行った。
若い二人は何か、笑いながら話して居た。
苦労も何もない様にして居る二人を傍に長くなって見て居るうちに、これほど大きなものの父であると云う喜びが、腹の底から湧いたけれ共、自分の貧乏を思うと、出かかった微笑みも消えてしまった。
恭二の顔をまじまじと見ながら、
[#ここから1字下げ]
「貴方も、この様な足らん女子に病んで居られて、さぞ辛気臭う、おまっしゃろが、
どうぞ、たのんますさかい、優しゅうしてやって下さい。
私が目でも見えてどしどし稼《かせ》げたら、何ぞの事も出来るやろが、もう廃人なんやから、お君は、貴方ばかりをたよりにしとるんやさかいなあ。
此女《これ》も、親子縁が薄うおすのや。
[#ここで字下げ終わり]
と哀願する様にたのんだ。
チラッとお君の顔を見て、軽い笑を口の端の辺にうかべながら、
[#ここから1字下げ]
「ええ大丈夫です、
御心配なさらずと。
[#ここで字下げ終わり]
とうす赤い顔をして返事をするのを見てお君は、そうやって、たのまれてくれるのも夫なればこそ、ああやって頼んでくれるのも親だからこそと、しみじみ嬉しい気持になって居た。
恭二と栄蔵とは、お君を中にはさんで、両側に、ねそべりながら、田舎の作物の事だの、養蚕の状況などについて話がはずんだ。
そう云う事に暗い恭二が、熱心に、
[#ここから1字下げ]
「そうすると、どうなるんです?」
[#ここで字下げ終わり]
などと、深く深く問うて来るのを、説明するのが栄蔵には快よかった。
折々、
[#ここから1字下げ]
「な父はん、私も。
[#ここで字下げ終わり]
などと、自分の病気についての事を云い出したい様にして居たけれ共、栄蔵は、種々な話に紛《まぎ》らして、一寸の間も、否《いや》な話からのがれて居たがった。
お君にあれこれ云わないでも、もう心の中はその心配で、一杯になって居る。
一升徳利に二升入らない通りに、栄蔵の心は、これ以上の心配を盛り切れない状態にあった。
お君を迎えに田舎に行った時に会った栄蔵と今の栄蔵とは、まるで別人の様に、恭二の眼にうつった。
急にすっかりふけてしまって居る。
前にもまして陰気に、影がうすく、貧しげである。
あれから、半年ばかりの間に、どれほどの苦労をしたのかしらんと、恭二は、ぼんやりと、無邪気な、子供が鳥の飛ぶのを驚く様な驚きを持って居た。
隣の間の夫婦は、こっちに声のもれないほどの低い声で、何やら話し会って居るらしい。折々、
[#ここから1字下げ]
「フフフフフ
[#ここで字下げ終わり]
とか、「いやだねえ」
などと云うお金の声が押しつぶされた様に響いて来た。十二時過まで、何かと喋って居た三人は、足らぬ勝の布団を引っぱり合って寝についた。
恭二が、じきに、フー、フーといびきをかき始めると、急に、夜の更けたのが知れる様に、妙にあたりがシインとなって仕舞った。
部屋の工合が違うので、ゴロゴロ寝返りを打ちながらうかうかとさそわれ気味で、出て来は来ても、これからたのみに行って、金策をしてもらうべき人達を、今になって、あたふたとさがさなければならなかった。
あの人や、この人や、栄蔵と親しくして居るほどの者は、皆が皆、大方はあまり飛び抜けた生活をして居るものもないので、勢い、同情を寄せてくれそうな人々を物色した。
知人の中には、大門をひかえ、近所の出入りにも車にのり、いつも切れる様な仕立て下しの物ばかりを身につけて居ながら、月末には正玄関から借金取りがキッキとやって来る様な、栄蔵には判断のつきかねる様な、二重にも、三重にも裏打った生活をして居る人が沢山あった。
書生時代の友人、同郷人、その様なものに金を借りに出かけるほど栄蔵も馬鹿ではなかった。
散々思い惑うた末、先の内お君が半年ほど世話になって居た、森川の、川窪と云う、先代から面倒を見てもらって居る家へ出かけて見る気になった。
けれ共、考えて見れば川窪へも行かれた義理ではない。お君が、我儘から辛棒が出来ないで、母親に嘘電報を打たせて、代りも入れないで帰って来てしまった事が、今だに先方の感情を害しては居まいかと云う懸念があった。
物事の道理をちゃんちゃんとつけて事を定めるそこの主婦が、ふみつけにされた事に対してどう思って居るかと思うと、どうしても、厚かましく、
[#ここから1字下げ]
どうぞ、これこれでございますから月々いくらかずつ出して下さいますまいか。
[#ここで字下げ終わり]
とは云えない気がした。
あんな事さえして置かなければ、何も、こうまどわずに有り体に云ってすがられるものをと、下らない事に、先《さき》の気を悪くする様な事をした娘が小憎らしかった。あっちこっち烏路《うろ》ついた最後は、やっぱり川窪をたのむより仕方のない事になった。
娘に相談する気になって、
[#ここから1字下げ]
「お君起きてんか?
[#ここで字下げ終わり]
と云った。
[#ここから1字下げ]
「何え、父はん。
「私もな、今つくづく思うて見たんやが、金出してもらうにしろ、どいだけずつ入るんやかはっきり知れんでは、うちあかんさかいお前見つもって見てんか。さっきも、お金が云うてやが、月々二十円ずつ入るやそうやが、ほんまかい。
若しそんなだったら、もう私の力ではどむならん。
「二十円え?
母《かあ》はんがそう云っといしたかの。
そんな事、あるもんどすか、
十円も、もろうてあればようまっしゃろよ、
何んも、偉う高えもの食べるやなし、一週間入院する『はらい』さえ出けたらええどすもの。
「そいで、入院するに、どの位入るんや。」
「そやなあ。
下等の病気[#「気」に「(ママ)」の注記]に入とるのやさかい八九円だっしゃろ、
いろいろなものを交ぜて。
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング