ない栄蔵は、膝の上で両手を拳にして、まばらな髭《ひげ》のある顔中を真青にして居る。額には、じっとりと油汗がにじんで居る。
 夜着の袖の中からお君の啜泣きの声が、外に荒れる風の音に交って淋しく部屋に満ちた。
 昨日、栄蔵の買った紅バラは、お君の枕元の黒い鉢の中で、こごえた様に凋《しぼ》んでしまって居た。

 夜になっても栄蔵の怒りが鎮まらなかった。
 顔には一雫の紅味もなく、だまり返って腕組みをしたまま考えに沈んで居た。
 お君は、額際まで夜着を引きあげた黒い中で、自分が出されて国に戻った時の事を、まざまざと想って居た。
 狭い村中の評判になって、
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「お君はんは病気で戻らはったてなあ、
 どうおしたのやろ。
 病気や云うても何の病気やか知れん、
 病気も、さまざまありまっさかいな。
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などと、常から口の悪い、村に一人の女按摩が云うに違いない。
 そして、親達には済まない思いなどをするより今いっそ、一思いに川にでも身を投げて仕舞った方が、どれだけいいかしれない。
 お君の眼の前に、病院へ行く道の、名を知らない川が流れた。
 あの彼側の堤の木の
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