ムプの灯の下で、栄蔵はたのまれて書き物をして居る。
落ちた処ろどころをそろわない紙で抑えた壁に、大きな、ぼやけた影坊子[#「坊子」に「(ママ)」の注記]が、身じろぎもしないで留まって居る。赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、テラテラ妙に光って、ぼろになった畳と畳との合わせ目から夜気がつめたくすべり込んで来る様だった。
火の気のない、静かな、広い畑の中にポッツリたった一軒家には、夜のあらゆる不思議さ、恐ろしさ、又同時に美しさも、こもって居る。
年を取って、もう、かすかな脈が指にふれるばかりのこの人でさえも、あまりの静けさ、あまりの動かない空気の圧迫に驚いて、互に顔を見合わせ、
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「静だすえなあ。
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と云うほどであった。
弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間《みけん》が劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。
紙をまとめて、机代りの箱の上にのせ、硯に紙《かみ》の被をし筆を
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