そうなんです、
 そんなに気になるならきいて御やりなさい。
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と云われるほどだった。
 その次の日から、一つ寝返りをうつにも若い男のゆったりした腕が、栄蔵の体の下へ入れられ、部屋の掃除などと云うと、布団ごと隣の部屋へ引きずって行く位の事は楽々された。
 お節はこの力強い手代りをいかほどよろこんだか知れない。
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「ほんにお前もいい若衆に御なりや。
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 惚れ惚れと鴨居に届きそうに大きい息子の体を見てお節は歎息する様な口調で賞めた。
 たまに見る息子は非常に利口に、手ばしこく、物分りがよく見えた。
 ちょくちょく見舞いに来る者共に一々達の事を吹聴して、お世辞にも、
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「いい息子はんを御持ちやから貴方はんも御安心どすえなあ。
 年を取っては、子のよいのが何よりどすさかい。
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と云われればこの上なく満足して居た。
 悲しい中にも後楯を得たお節は、前よりも一層甲斐甲斐しく何でも彼でもきり廻した。
 栄蔵は、今まで、自分の心にこんな感情があるとは夢にも思わなかった或る感情に悩まされ始めた。
 胸の張った、手足のすらりとし高い、うす赤い達の体が自分の傍にあると非常な圧迫を感じた。
 一つ毎に、白い三日月《みかづき》のついた爪、うす紅の輪廓から、まぼしい光りの差す様な顔、つやつやしい歯、自分からは、幾十年の前に去ってしまった青年の輝やかしさをすべて持って居る達を見る毎に押えられないしっとが起った。
 親として子の体を「やきもちやく」と云う事は実に有得ない事である。
 けれ共衰弱しきって居る栄蔵には、前後の考えもなく只、うらやましかった。
 斯う力強いものが目の前にあると余計自分の命が危くなる様で、なるたけ、そばによせつけなかった。
 何が気に入らないか教えて呉れと達が云っても返事もせず、体を動かしてもらう時、少し下手だと云っては、物も云わず、平手で達の手や顔を打った。
 もうむずかしいと思えばこそ達はその病的な叱責にあまんじて居た。
 達は、父の不快の原因をいろいろと考えたけれどもまさか、自分の肉体が、父の感情を害して居るなどとは思いつき様もなかった。
 発作的に息子を打って、そのパシッと云ういかにも痛そうな音をきくと、始めて我に帰った様になって、口をキーッと結んで打た
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