それに、あそこの院長はんが親切なお人で、何《な》んでも廉《やす》うしとくれやはるんさかい。
「そんなら十円あれば、まあええのやな。
 そう云うわけやったら私《わし》も、どうぞして十円ずつは出してもらうようにしよう。
「出してもらう? 誰にえ。
「月に十円ずつ出しとくれやす人はなかなかあらへんのやけど、放とくわけにも行かん故、間が悪いけど、川窪はんに出《だ》いてもろうと思うとるんえ。
 外に誰ぞ、ええ人があるやろか。
「さあ。
 ほんま云えば、川窪はんへそな事云うて行かれんわなあ、父はん、
 私が、不首尾な戻り様したのやから、あの奥はんもさぞ気まずう思うといでやろから……
 でも此家《こちら》へ来て間もなく、挨拶かたがた詫に行たら、どこぞへ行きなはるところやったが、物を祝っとくれやして、いろいろねんごろにしとくれやはったほどやから、うちで思うとるほどでもないかもしれんが……
「な、そうきめよ、
 外にしようがあらへんやないかい。
「そうやなあ。
[#ここで字下げ終わり]
 恭二が、ムクムクとしたので、云いかけた言葉をお君は引こめた。
 疲れて居る栄蔵は、一寸の静けさの間にすっかり眠ってしまった。
 お君は、暗黒い中で、まざまざと彼の時分の事を思い浮べた。
 あの時は、まるで、どうも出来ないほど辛いと思って居たが、今思うと、ほんに何でもない事だったと思うと、
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「姑のある家へ行ったら、なかなかこれどころではないものだよ。
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と主婦がよく云って居たのに思いあたる。
 物事をよく条だてて行く、男以上に頭の明らかな主婦が、自分が今日こうやって、こんな事になやまなければならない運命を持って居ると云う事を胸の中に知って居て、
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「人間は、いつどこで、どう世話になったり、なられたりするか分らないものだから、不義理はして置けないものだねえ。
[#ここで字下げ終わり]
と立つ朝何気なく、他の話に取り混ぜて云ったのではあるまいかとさえ気を廻した。
 自分の愚かさから、いつでも行く先へ網を張る様な事を仕出来して、お君は、淋しい、やるせない涙を、はてしない夜の黒い中に落して居た。

        (四)[#「(四)」は縦中横]

 栄蔵は翌る朝早く川窪へ行くと云って、来た時の通りの装で出かけた。
 半分はもう忘れて居る道
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