のになってしまった。
田舎に居て、東京の様子に暗い夫婦は、血縁と云うものが、この世智辛い世の中で働く事を非常に買いかぶって、当座は大船にでも乗った様な気で居た。けれ共、折々よこすお君からの便り、又、東京に居る弟の達からの知らせなどによると、眉のひそまる様な事がやたらとあった。
[#ここから1字下げ]
「どこもこんなもんよ。
[#ここで字下げ終わり]
栄蔵は、若いものには苦労させるのが薬だと云ってさほどにも思って居なかったし、又、今となってどう云ったところで、始まらないともあきらめて居た。
娘があんまり利口《りこう》でもないしするから、片方の口は信じられないと、女の子によほど心を傾けて居ない栄蔵は、やきもきして、どうにかせずばとさわぐお節をなだめて居た。
仕舞には、きっと、
[#ここから1字下げ]
「今になって、何や彼やわしにやかましゅう云うてんが、知らん。
お前が、せいて、早う早う云うてやったんやないか。蒔いた種子位、自分で仕末つけいでどうするんや。勝手もいいかげんにしとけ。
[#ここで字下げ終わり]
と、とげとげしい言葉になって、気まずく寝て仕舞うのが定だった。
暗いラムプの灯の下で、栄蔵はたのまれて書き物をして居る。
落ちた処ろどころをそろわない紙で抑えた壁に、大きな、ぼやけた影坊子[#「坊子」に「(ママ)」の注記]が、身じろぎもしないで留まって居る。赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、テラテラ妙に光って、ぼろになった畳と畳との合わせ目から夜気がつめたくすべり込んで来る様だった。
火の気のない、静かな、広い畑の中にポッツリたった一軒家には、夜のあらゆる不思議さ、恐ろしさ、又同時に美しさも、こもって居る。
年を取って、もう、かすかな脈が指にふれるばかりのこの人でさえも、あまりの静けさ、あまりの動かない空気の圧迫に驚いて、互に顔を見合わせ、
[#ここから1字下げ]
「静だすえなあ。
[#ここで字下げ終わり]
と云うほどであった。
弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間《みけん》が劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。
紙をまとめて、机代りの箱の上にのせ、硯に紙《かみ》の被をし筆を
前へ
次へ
全44ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング