い字だと、凝っと見れば見る程不可解な、まごつく、奇怪な二本の棒になって来る。而も、私がこんなものさえ上手に書けなくては、学校へなど到底行けないとおっしゃったではないか。ああ、あんなにいい袴や草履が出来たのに!
 私は、涙を出し、がむしゃらになって、この変ないを組伏せそうに、ぐっ、ぐっと筆をこじった。今度もやっぱり我知らず右の方から。母は、背後から傍に来、坐ってじっと私の顔を眺めた。
 見ると、母の眼も、明るい日の中であやしく閃いている。
「どうしたの? 百合ちゃん。お前そんなに馬鹿なの? どうしてちゃんといの字位が書けないのだろう」
 母の沈んだ、恥しそうな情けなさそうな声をきくと、私は堪らなくなった。私は、筆を紙の上に放り出し、始めはしくしく、やがて声を出して泣き出した。
 私は、馬鹿と乞食とが世の中で一番いやな、恥しいものだと思っていた。もうじき学校に行くそのお稽古に書く字が、どうしてだか書けない。字の書けないのはきっと馬鹿だろう。自分もその馬鹿であったのかと、絶望しきって涙の止め途がなかったのであった。
 明治三十九年の春、児童心理学をまるで知らない若い感情家の母と、幼い未開人め
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