雨の昼
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)朦朧《もうろう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三九年七月〕
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雨の往来から、くらい内部へ入って行ったら正面の銀幕に、一つ大きいシャンデリアが映し出されていた。そのシャンデリアの重く光る切子硝子の房の間へ、婚礼の白いヴェイルを裾長くひいた女の後姿が朦朧《もうろう》と消えこむのを、その天井の下の寝台で凝っと暗鬱な眼差しをこらして見つめている女がある。順をおいてみて行ったら、それが母の再婚に苦しむ娘イレーネの顔であった。
「早春」という映画は近ごろ評判にのぼったものの一つであったらしい。女の画家や、作家がそのつよい印象を語っていられる文章をどこかの広告でも読んだ。母ジェニファーの新しい愛人、そして良人として現われたコルベット卿をやっている俳優が、英国風の紳士というものを何か勘ちがいして、英国名物のチャンバーレン、蝙蝠《こうもり》傘は忘れずその手に持参しているばかり、到ってユーモアも男らしい複雑な味もなく一番つまらない。ジェニファーをやるユンツェルもイレーネやババもその他みなそれぞれ活きていて、ババをやっているゲラルディーネは、真白に洗濯されたエプロンが青葉風にひるがえっているような心持で面白かった。十二年前、二人の娘とカルタで負けた借金をのこして良人が死んだ後、子供を育て、借金をかえし、現在ではパリで有名な衣裳店を開いている美しい中年の寡婦ジェニファーが、或る貴族の園遊会でコルベット卿にめぐり会い、その偶然が二人を愛へ導いて結婚することになると、満十六歳の誕生日の祝いと一緒にそのことを知ったイレーネが悩乱して、婚礼の朝、朝露のこめている教会の樹立ちのかげから母の新しい良人を狙撃しようとする。しかし、その力も失せて、イレーネは絶望の果て、そのあたりの池へザブザブと我にもなく歩みこんで自殺しようとする。妹のババと羊飼の少年フィリップとが危くかけつけてイレーネを救い上げる。柳の葉の垂れた池の畔で、ボートに横えられている濡れ鼠の姉を抱きしめて驚愕と安心とで泣きながらババはたずねる。「イレーネ、死ななかってよかったと思う?」やっと正気に戻ったイレーネは辛うじてききとれる声で「恥しいわ」と答える。そして、「このことママには云わないでね、ママの
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